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2025.07.11 07:45

「泣ける」体験の科学、感情に価値を見出すビジネス戦略

Getty Images

わたしたちは感情を言葉で表すとき、その言葉の意味や印象に、知らず知らずのうちに引っ張られてしまうことがあります。

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たとえば友達に、「観たら絶対感動するよ」と紹介された映画を観ると、自分も感動したような気がしてしまう。あるいは、周囲が涙を流している場面に出会うと、自分も悲しみを感じなければと構えてしまう。

感情が先にあるように見えて、実は「そう感じるべき」というラベルの影響を受けている。

そんなことが、今回の実験の評価にも入り込んでいたかもしれないのです。

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「泣ける」は「つらい」ではなく「快い」

そこでわたしたちは、言葉に頼らず、実際の感情体験の構造を明らかにするために、「多次元尺度構成法(MDS)」という手法を使いました。これは、人が似ていると感じた感情同士は近くに、似ていないと感じた感情は遠くに並べて、感情の配置を地図のように描き出す技法です。

言い換えると、言葉のラベルではなく「体感としての感情の距離感」を可視化できるのです。

すると、思いもよらない結果が浮かび上がってきました。

「泣ける」と評価された動画の多くが、感情の「快──不快」軸で見ると、「快」のエリアに分布していたのです。

これは、わたし自身にとっても驚きでした。

「泣ける」という体験は、「つらいこと」ではなく、「快い体験」だったのだと、はじめて腑に落ちたのです。

泣けるコンテンツを観たとき、わたしたちは口では「悲しい」と言うかもしれません。

けれど、その実感の中身を丁寧に見ていくと、それは単なる悲しみではなく、「心が揺さぶられた」「何かが動いた」と感じられることそのものが、むしろ快として体験されていることがわかります。

つまり、わたしたちが泣ける作品に惹かれるのは、感情が動くというプロセスそのものに快を感じているからなのです。

こうして見ると、「泣ける」ときにわたしたちが感じているのは、単なる悲しみでも、単なる喜びでもありません。むしろ、「いくつもの感情が混ざり合っている」というほうが実感に近いのではないでしょうか。

「悲しいけど、よかった」「つらいけど、美しかった」

そんなふうに、「悲しさ」と「安らぎ」や「満足感」が同時に存在しているとき、わたしたちはそれを「泣けた」と表現するのです。

文=石津智大/関西大学文学部心理学専修教授

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