解決はできなくても、少なくとも問題を共有することはできる
このような時、私たちはよく恋愛関係において「耳を傾けてもらっていると感じること」や「注意が向けられていると感じること」の重要性について話す。だが、苦悩が極限に達したとき、「それはひどい」とか「そんな風に感じているなんてかわいそうに」といった言葉だけでは十分ではない。最も重要なのは、このような思いを抱いているのは自分ひとりではないこと、またそうした感情に対処しているのも自分ひとりではないことを認識することだ。
この場合、パートナーは相手の懸念を払拭したり、解決しようとしたりはしない。その代わりに、相手の懸念を共有する。「私も同じように感じている。世界が燃えているのに、私はソファに座って燃えるのを眺めることしかできない」などと言う。
そうしたカップルはさらに言葉を交わす。抱えている恐怖や怒り、罪悪感をつまびらかにする。一緒に不快感を抱く。それから数日後に自分たちにできる小さなことを見つけるかもしれない。寄付をしたり、抗議活動に参加したりする。あるいは友人と話したり、必要に応じてニュースから距離をとったりする。
世界のあらゆる問題をひとりで解決することはできなくても、少なくとも問題を共有することはできるのだと互いに認識を新たにする。
カップルにとってこれが最大の緩衝材となる。共感するという日頃の習慣は、たとえ世界が不安な状態になっているときでも、そうした中で互いをしっかりと支えることができることを思い出させてくれる。
前述のマギル大学の研究の主執筆者であるカタリナ・エネストロムは「共有された現実は必ずしも経験の共有を必要としない」とプレスリリースで説明している。
「経験したストレスの多い出来事を説明し、相手がその出来事を同じようにとらえれば、共有された現実を持つことができる。このような共有された現実の体験を重ねることで、カップルは一般として共通の世界観を持つようになる」とエネストロムは説明している。


