波乱の経営者人生
1998年に今は亡き父の事業を引き継いだ宇野のその後の20数年間は、波乱に満ちたものだった。1961年に父の宇野元忠が創業したU-NEXTの前身の企業である大阪有線放送社は、主にバーやスナックなどの飲食店とケーブルを結んで店舗向けBGMを配信していた。同社の事業は全国に拡大し、日本の80%をカバーするまでになった。しかし、宇野自身は家業を継ぐ気がまったくなかったという。
「跡を継ぐのは絶対に嫌でした」と彼は断言する。「父もむしろ事業承継には否定的で、私としては自分の会社を起こして経営したいと思っていました。家族の誰かが引き継ぐとしたら、それは兄(康彦)になるだろうとも思っていました」
明治学院大学で法律を学んだ宇野は、1988年に不動産開発会社リクルートコスモスに入社した。しかし、1年で辞めて1989年に人材サービス企業「インテリジェンス」を共同創業し、CEOを務めていた。ところがその頃突然、当時63歳の父が末期がんと診断されたことで、状況は一変した。父は、後継者に次男である宇野を選んだのだ。
「父は医師から余命3カ月を宣告されていました」と宇野は振り返る。「私はその頃、自分で会社を立ち上げて、上場準備にも入っていたので、経営者になる準備ができていると父は思ったのかもしれません」
だが、事業を引き継いだ宇野は、想像を超える困難に直面した。大阪有線の音楽を流すためのケーブルは、政府や電力会社に無許可で電柱に取り付けられたものだった。さらに、会社は父個人の連帯保証で800億円もの負債を抱えていた。宇野はその後、数年間をかけて全国の700万本以上の電柱の使用許可を当時の郵政省から取得し、これまでの使用料として500億円を支払った。また、負債の返済にはさらに長い時間が必要だった。
ブロードバンドの波
そして、最初の苦境を乗り越えた宇野は、既存のビジネスを超える成長戦略に打って出た。2000年に彼は、社名を「有線ブロードネットワークス」に改めたが、これは既存のケーブルネットワークを刷新し、「世界初の商用光ファイバーブロードバンドサービス」を東京から始動し、全国に広げるという計画に向けてのことだった。宇野は、インターネットが「社会を変える」と強く信じており、映像配信こそが次の大きな波になると考えていた。
日本のEコマースの巨人、楽天の創業者でCEOの三木谷浩史は、メールで次のようにコメントした。
「私が初めて宇野さんに出会ったのは、インターネットブームの初期の頃ですが、その当時から彼には、ネットがもたらす変革のパワーに関する明確なビジョンがありました。特に、ストリーミングサービスがエンタメをどのように変えるかという点においてです。彼は、私が知る中で最も粘り強く目標を追い続けるリーダーの一人です」
三木谷と宇野は、ネットフリックスがストリーミングサービスを開始する6年前の2001年に、有料コンテンツプラットフォームの「Show Time」を共同で立ち上げ、映画やドラマ、アニメ、スポーツなどを配信した(楽天は、2009年に同プラットフォームの宇野の持ち分の50%を18億円で買い取った。当時のコンテンツは約6万タイトルで、加入者数は110万人に達していた)。


