「見えないもの」がもたらす恐怖の増幅
『ジョーズ』で最大の恐怖を引き起こすのは、実際にスクリーン上で見られるものではなく、見えないものだった、と言ってもいいだろう。
当初は、サメの撮影には機械模型が用いられる予定だったが、この模型にさまざまな技術的問題が生じた結果、2時間強の上映時間のうち、サメの登場シーンは4分にとどまることになった。しかし、全体の3.33%というわずかな登場時間だったにもかかわらず、このサメはあらゆる時代の映画の悪役の中でも、最も恐れられ、悪名高い存在であり続けている。
サメがほとんど姿を見せなかったことが、結果的に『ジョーズ』という作品の最大の心理的アドバンテージになったのだ。
学術誌『Emotion』に2017年に掲載された研究論文にあるように、人間は、正体がはっきりしないものがもたらす脅威に、特に敏感だ。危険をもたらす対象をはっきり見ることができないと、「見たもの」と「現実」の隙間を、想像で埋めるしかない。そしてたいていの場合、人間心理は、現実的に起きる確率が高い事象よりも、はるかに悪いシナリオを想像する方向へとエスカレートしがちだという。
この意味で、『ジョーズ』の作品中でスピルバーグ監督が駆使した「引き延ばし」のテクニックは、この「悪い想像からくる不安」をさらにあおる役割を果たした。これは、何かが起きる前に私たちが感じる恐れの感情であり、この時に感じる恐怖は多くの場合、実際の出来事よりもはるかに強いものとなる。
こうした理由から、『ジョーズ』でサメが姿を見せるシーンがほとんどなかったことは、かえって恐怖心を増幅することになった。真の恐怖は、「サメの姿を実際に見ること」ではなく、「いつでもサメが襲ってくる可能性がある」と知っている状態にあった。これは、サメが実際にはまったく攻撃をしてこなくても感じられる恐怖だ。ただの可能性だけによって、観客たちは海を見るだけで戦慄するようになったのだ。
集団的な感情の伝染
『ジョーズ』が最初に公開された数週間後、さらには数カ月後、人々の反応は驚きと衝撃に満ちていた。
一部の海沿いの町では、ビーチに繰り出す人が大幅に減少したと報じられた。さらにショッキングなのは、捕獲されるサメの数が急増したことだ。非営利電子図書館「JSTOR」が運営するオンラインマガジン『JSTOR Daily』によると、この映画の公開直後にはサメの個体数が大幅に減少したという。
「毎年1億匹のサメが殺され、サメの種の30%以上が、少なくとも『絶滅危惧種』と考えられている」と、記事には記されている。こうした個体数の減少は、今に至るまで続いている。
スピルバーグ監督自身も、この点については深い後悔の思いを表明してきた。「今日に至るまで、原作の小説や映画のせいでサメの個体数が減少に至っていることを、私は悔やんでいる。本当に、心から悔やんでいる」と、同監督は2022年、BBCのインタビューで打ち明けた。


