窯元や自衛隊で経験した「価値有限/無限思考」
価値は有限ではなく、無限につくり出せるものである──。
岩尾がそう信じる背景には、幼少期の経験があった。岩尾のルーツは、江戸中期から続く佐賀県・有田焼窯元の創業家。有田焼の原料は陶石だ。それが砕かれて粘土となり、さらに形づくられて焼き上げられ、絵付けされた後には人の心を動かしていく。もともとただの石コロに過ぎなかったものが、さまざまなプロセスを経て数十万円、数百万円、ときには億円単位の価値になっていく。そうした世界で生きてきた少年が、価値は人の手で創造しうると考えるのは自然なことだった。
もちろん経済的価値だけの話ではない。岩尾は中学時代のエピソードを披露してくれた。
「有田のお祭りである陶器市は、中学生も職業体験で店を開けました。当時私をいじめているコがいたのですが、陶器市のために集めていた訳ありの焼き物を見せて、『一緒に店をやろう』と誘ったら乗ってきた。売り上げは数万円になったかな。それ以来、友達になってみんなハッピーです」
このように「人のつながり」を再構成することも価値創造のひとつである。
一方で、価値有限思考にとらわれて苦しむ経験もしている。窯元の次男だった父は家を飛び出して独立したものの、経営に失敗して倒産。借金を抱えて奪い合いの世界に引きずり込まれた。
岩尾は高校進学を諦めて、学びながら手当が支給される陸上自衛隊高等工科学校へ。学校では成績優秀者が生徒会長や教育隊委員長に選ばれ、バッジをつけることが許される。わが子に高校進学を断念させたことを悔やむ親に立派な姿を見せようと、岩尾は約300人中1位の成績を取った。しかし、キレ者であることが逆に上官の不興を買ったのか、約10人いる役職者には選ばれなかった。
学園祭でも行進メンバーから外されて、病気などで行進できない生徒が担当する武器係に回された。ただ、そこで発想を切り替えた。いす取りゲームからはじかれたなら、自分でいすをつくればいい。そう考えて武器展示を企画して提案。保護者は新しい展示を楽しめるし、岩尾は委員としてバッジをもらえる。まさに価値創造思考である。
「ところが、これも元上官の横やりが入ってバッジを取り上げられまして。学校は寮生活。ホームシックで泣いたことはなかったけど、このときは悔しくて(唯一ひとりになれる)乾燥室に籠って泣きました」
価値無限思考は周りを幸せにするが、価値有限思考になるとお互いに傷つけあって不幸になる。当時はまだ言語化できなかったが、価値創造と奪い合いの両方の経験を経て、考え方次第で「幸せの総量」が変化することを学んだのだった。


