とはいえ、どしゃぶりで歩きづらい日もあれば、疲労がたまって体が動かない日もあるだろう。それでもモチベーションが下がらなかったのはどうしてか。塩沼大阿闍梨は、当時をこう振り返る。
「私の修行を見て、お師匠さんや先輩が『あいつはバケモンや。すごい』と褒めてくれたそうです。直接は言ってくれないのですが、又聞きでもすごくうれしいじゃないですか。そういう経験があると、つらいときにも『いつかあの世に行ったときにも、神様や仏様、お師匠さんや修行の仲間に認めてもらいたい』と奮い立てる。子どもみたいですけど、評価される喜びが原動力になっていたのでしょう」
仏門の修行に限らず、何事も継続には自分の欲に打ち勝つストイックさが必要である。ただ、その闘いは孤独なものではない。周りの人とのつながりが支えとなり、前に進む力が湧いてくるのだ。
ねたみややっかみは贈り物だ
塩沼大阿闍梨が大峯千日回峰行を成し遂げたのは31歳のとき。その翌年には、断食、断水、不眠、不臥を9日間続ける「四無行」を成満した。ただ、修験道を究めていくうちに、既存の宗教の在り方に違和感を覚え始めた。
「奈良や京都の大きな寺と街を歩く若者たちって、すごく遠いんです。若い人たちが『どう生きていけばいいのか』と悩んでいても、そこに言葉は届かない。もっとダイレクトに届けるやり方があるのではないかと考えて、山を下りて故郷の仙台で慈眼寺を建立しました」
既存のお寺を継ぐのではなく新たに建立するだけでも一苦労だが、塩沼大阿闍梨はラジオのレギュラーを3番組もち、SNSを駆使して情報発信するなど、新しいスタイルを実践した。本人曰く、「ベンチャー坊主」だ。
業界の常識から外れることをすればいやが上にも目立ってしまう。そのため独立後はねたみややっかみで一部から足を引っ張れることもあった。相手がいることだけに、ある意味では自分と闘うよりも厄介だ。風当たりが強いときは、どうやって心を整えたのか。
「世の中は陰と陽で成り立っていて、いいことと悪いことは必ず交互にやってくるものなのです。だからネガティブなことがあっても、『これを乗り越えたら次にいいことがある』と受け止めればいい。次にいいことが起こる前触れと考えれば、むしろ感謝の気持ちすら生まれます。そういう意味では、ねたみややっかみは贈り物かも。ネガティブなエネルギー自体は受け取り拒否すればいいだけ。宅配便と一緒で受け取り拒否すれば相手に返っていくだけなので、相手を恨む気持ちにはなりません」
さらっとこう言えるのは厳しい修行の賜物かと思いきや、嫌なことを流せるのは仏門に入る前からだという。


