教育行政に経営感覚が欠けている
北野:教育経済学のプロが、大学で自ら教えることに難しい面もありませんか?
中室:まったく別物です。私は教育経済学の知見は教育現場で役立つものもあると考えていますが、教育経済学が示す「効果」はあくまで母集団に対する平均的な効果にすぎず、それを目の前にいる学生にそのまま当てはめて運用するのは難しいこともあります。
矛盾していると思われるかもしれませんが、私が自分で学生を指導するときのポリシーは、“愛の源泉かけ流し”です(笑)。学生に「この指導者は自分たちの成長を何より大切にしてくれている」としっかりわかってもらうことが大切です。ここが理解されないと、学生がいい加減な作業をしたり、締め切りを守らなかったりしたとき厳しく指導することは難しい。学生はまだ若く、ときとして未熟さが露呈することもありますから、怒りまくることもあります(笑)。
北野:あふれる愛で、怒りまくる!
中室:はい。ただ腹が立って怒るのではなく、「その態様では社会に広く受け入れられることはない」とはっきり伝えます。すべては彼ら彼女ら自身が壁を乗り越え、成長し、大学を卒業した後の人生で幸せに生きてもらうためです。
北野:教育経済学者の立場に立ち返ると、現場の教育者とはどういったアプローチの違いがありますか?
中室:経済学では、教育を「投資である」と捉えています。株や債券に投資するとき、タイミングや銘柄によって利回りは異なります。教育への投資も子どもの年齢や教育の内容によって、将来の成果に与える影響が変わってくるのです。
でも、実際に子どもを育てるときに、こうした経済感覚をもとに育てている人はほとんどいないでしょう。こうした考え方がより重要になるのは、国民から集めた税金を元手にして、国全体の、あるいは地域の教育資源の配分を考えるときです。どの学齢の児童・生徒の、どのような教育に、どれくらいお金と時間をかけていくのか。これについては、納税者への説明責任が生じますから、きちんとした科学的根拠に基づいて行わねばなりません。
北野:こうした資源配分は日本が遅れていると中室先生は度々指摘されます。何が理由ですか。
中室:最近、アメリカのトランプ大統領の関税政策が話題ですが、今年3月にUSTR(米国通商代表部)から発表された報告書で、日本の各省庁の「審議会」における意思決定が批判されているのをご存じでしょうか。日本ではかなり重要な政策を、一部の有識者や業界の代表者からなる審議会で決定するので、政策決定過程における議論の透明性が低く、説明責任が果たされていないという指摘です。
私自身も有識者としてさまざまな審議会に参加していますが、この指摘が関税障壁に当たるかはさておき、妥当な部分もあると思います。利害の異なる多数の関係者が参加していますから、それをまとめようとすると、どうしても最大公約数のような取りまとめになり、プロアクティブ(先進的)でエッジの効いたものにはなりにくい。科学的根拠の有無もごっちゃで、期限や優先順位も明確ではありません。
企業の経営だと、通常は限られた予算内で明確に期限を設け、優先順位をつけて、KPIが達成されているかを定期的に確認しますが、政策においてこうした手法が取られることはむしろ珍しいのです。


