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2025.06.27 13:30

【私が15歳だったころ】Shigekix、「自己表現」の深化に宿る意味

半井重幸(Shigekix)|ブレイクダンサー

そうした表現欲求がダンスに向かうきっかけは、4歳年上の姉だった。7歳の時、姉の影響でブレイキンを始め、ダンスの世界にのめり込んでいった。ブレイキンではダンススキルに加えて、「その人らしさ」も評価の対象になる。身体を通して自己表現にのめり込み、地元、大阪のなんばの広場で大人に交じって練習に明け暮れた。着実に力をつけて「天才キッズ」と呼ばれ、表現の舞台はすぐに国内から世界に変わった。10代前半から国際舞台で大人とわたり合い、18歳で世界トップのRed Bull BC One World Finalを最年少で制した。内向的だった少年は約10年で世界のトップダンサーとなり、2024年のパリ五輪を迎えるころには、世界ランキング1位にまで上り詰めていた。

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4位という結果が、語ったこと

初めてブレイキンが五輪種目に選ばれたパリの舞台は、日本で競技を普及させる絶好のチャンスだった。日本人選手がメダルを獲得すれば、より多くの国民が、競技に興味をもつことになる。メダルを期待され、開会式の旗手も務めた。

Shigekixはしかし、表彰台にあと一歩、届かなかった。4位に終わった結果を、「まさか」と評する声もあった。15歳の時、日本のブレイキン界を背負うことを決めたShigekixだけに、パリでの結果には忸怩たる思いがあるだろう。あれから約1年。あの戦いをどう振り返っているのか。

「悔しいですよ。ものすごく。だけど、それも自己表現のひとつだとも思うんです。特に3位決定戦。優勝を目指していたなかで、準決勝で負けた。その後の3位決定戦を、どう戦うか。苦しいことにどう立ち向かうか。その姿も、きっと何かを伝えますよね。負けていいわけじゃない。それは違う。貪欲に結果を追い求める。だけど、本気で挑戦すれば、もしそれがかなわなくても、そのプロセスに意味が宿る。その姿が、誰かの活力になるとも思うんです。その意味で、パリではやり切れた。もちろん、満足はしていませんけど」

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幼少期からパリまでの期間を振り返ると、Shigekixの「自己表現」の方法が深化してきたことがわかる。表現方法がアートからダンスに変わり、そして自身の生き様になった。ただし、いつも純粋であり続けてきた。好奇心と向き合い続けたからこそ、自己が解放され、彼にとっての表現が「自分であること」そのものに昇華されたのだろう。

インタビューの最後、あらためて15歳というキーワードを投げかけた。今、自身のターニングポイントだったあの15歳を生きる若者たちに、どんな言葉を語りかけるのか、と。

「ブレイキンをやってるB-BOY、B-GIRLって、いつも少年少女の心を大切にしてるんです。楽しい、好き、ずっと踊り続けたいって感覚。大人になるとその心を捨てなきゃいけない気がするかもしれない。だけど、僕はそんな必要はないと思います。知識や経験が増えても、少年少女の純粋な心は捨てなくてよい。むしろ、その気持ちをもち続けたまま責任を果たすのが、大人だと思う。だから、好きを大事にしてほしい」

Shigekixのターニングポイントは15歳、ダンサーとして生きる覚悟をした時だった。その延長に、今がある。だが、人生の分岐点は決して一度きりではない。彼はこれから、幾度も岐路に直面するはずだ。そして、そのたびに自らの表現を深め続けていくのだろう。


なからい・しげゆき◎2002年生まれ。7歳でブレイキンを始める。20年 Red Bull BC One World Final世界最年少優勝。21年度からJDSF全日本ブレイキン選手権3連覇。24年パリオリンピックでは開会式、閉会式ともに旗手を務めた。

文=泉 秀一 写真=安島晋作

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