ただ、僕は「意見を言える」だけではダメだと思っています。意見を言う以上に行動を起こすことができるか。あなたの人生はどうだった? と聞かれて、「これが自分の人生です」と言えるように挑戦していないといけない。
もともと日本の国立大学は国家を築く官僚を養成するためにつくられた官立の機関であり、「発展途上国型」と言えます。しかし、今は30年間も経済成長せず、円安ドル高が進んで、年収500万円といってもドル換算すれば、価値は半減して250万円程度です。年功序列・終身雇用の時代が終わり、「ステータス(地位)」に安住できる社会ではなくなった。行動を起こすことに価値がある社会に変わっています(編集部注・思想家の丸山眞男も、身分制度など「状態」に重きを置く社会と、行動に価値を置く社会の性質を、『「である」ことと「する」こと』という評論にまとめている。「である」型の「状態」が支配すると、社会は行動する人が減り、近代化に失敗する)。
世界がこれだけ変化しているのに、受け身の姿勢であれば、翻弄され続けるだけで自分の人生は築けません。他人に振り回される人生が当たり前になることに、日本の本当の危機を感じるのです。
計画を立てて実行に移したら、予想通りにいかないので失敗に気づく。失敗の理由を明らかにしていくと、次に生きる。それが「成長」です。
他人から言われたことしかやらない人生を歩んでどうするんですか。あなたは、「これが自分の人生です」と言えますか。そう問いたいのです。
2.〈それは自分で考えてたどり着いた言葉なのか〉
僕が「受け身」の人生というものに違和感を抱いたのは、「最近の若い人は」という世代論ではなく、僕が大学に入学したころからです。
1967年、山口県の田舎町から早稲田大学に入学するため、東京に出てきました。新しい人生のスタートだったのに、当時は学生運動が盛んで、大学はバリケードで封鎖されて、デモで授業は中止です。
ところが、拡声器で学生が叫ぶアジテーションや、キャンパスに並んだ立て看の言葉が、自分で考えた言葉なのかと疑問でした。誰かが指示した言葉をそのまま並べただけで、自分で考えていない、ステレオタイプに思えてしまう。さっきの先生の言葉を借りるなら、付和雷同の「サラリーマン化」です。
大学の授業が受け身の教育なら、反体制を訴える側も右へ倣えの思考停止。こんな調子だと、日本の大学で自己実現のための探究などできませんよ。
そこで、僕は世界一周をしてみようと思い、19歳の時に初めてひとり旅をしました。
そこでわかったことがあります。


