イスラエルはイランに対する未曾有の爆撃作戦を続け、イランでは民間人の被害が拡大している。イランの都市とその住民がこれほどの規模の空襲にさらされるのは、1980年代にサダム・フセインのイラクと8年にわたり繰り広げたイラン・イラク戦争以来のことだ。専門家のなかには、今回の空爆はすでに当時よりもいくらか深刻なものになっているとみる向きもある。
イラン保健省のホセイン・ケルマンプール報道官は15日、イスラエルによる爆撃の死者は少なくとも224人、負傷者は1200人に達したと発表した。死傷者の9割は民間人が占め、女性と子どもが70人含まれるとしている。16日までで一度に最も多くの犠牲者を出したのは、14日に首都テヘランで起こった集合住宅の崩壊で、60人が亡くなり、うち半数が子どもだった。
テヘランでは15日もイスラエルによる市の深くまでを対象にした爆撃が続き、一部の住民は恐怖に駆られて避難を始めた。農村部が多くなる北へ逃れる人が多いという。テヘランに住む37歳の女性はイランの在英テレビ局イラン・インターナショナルの取材に、「ミサイルが着弾するたびに、高齢の両親はイラン・イラク戦争のつらい体験がフラッシュバックするようです」と話している。
イランの大勢の若年層は、35年以上前のイラン・イラク戦争やそれによる民間人の被害を直接知らない。この戦争は基本的に第一次世界大戦型の消耗戦で、イラン西部の国境沿いの州が主な戦場になったものの、前線から遠く離れた場所に住む市民にも直接影響を与えた。フセインの軍隊は、悪名高い弾道ミサイルである「スカッド」や「アル・フサイン」で、タブリーズ、イスファハン、シーラーズ、テヘランといったイランの主要都市を攻撃し、民間人も戦争に巻き込んだのだ。戦争の最後の年である1988年には、7週間にわたってミサイル攻撃の応酬が続き、イランでは少なくとも2000人が死亡、6000人が負傷した。当時、600万人ほどの人口だったテヘランからは200万人が避難した。テヘランの現在の人口は、1000万人程度に膨らんでいる。
イスラエルの現在の攻撃によるイラン民間人の死傷者や避難者の規模は、少なくともいまのところはイラン・イラク戦争ほどには達していない。



