イランは攻撃を受けた初日から、イスラエルに対して弾道ミサイルで報復することにどうにか成功している。イランの弾道ミサイルは、イラクが1991年にイスラエルやサウジアラビアへの攻撃に用いた改良型スカッドミサイルよりも高度なもので、備蓄量もはるかに多い。一方で、イスラエルも当時から格段に進化した多重防空網を構築している(これについてはイランが2024年4月、イスラエルを初めて弾道ミサイルで直接攻撃した際に記事で取り上げた)。イランのミサイルはすでにイスラエルに、かつてフセインのミサイルがもたらした以上の死者や破壊をもたらしている。とはいえ、これらのミサイル攻撃がイスラエルによる一段の攻撃を抑止したり、イスラエルがイランに与えているほど大きな損害を与えたりする可能性はきわめて低い。
湾岸戦争は、かつて100万人を超える兵力を誇り、3年前にはイランとの戦争の末期に壮絶な戦闘を繰り広げて膠着状態に持ち込んだフセインの軍隊にとって、壊滅的な敗北になった。その後の権力の空白により、イラクは軍事的に去勢され、周辺諸国に対して影響力を行使したり、深刻な脅威を与えたりすることができなくなった。イスラエルはそれまで、新興イスラム共和国のイランよりもフセインのイラクを深刻な脅威とみなし、状況によってはイランと手を組んでいたが、やがてイランを最大の脅威と認識するようになった。イスラエル現首相のベンヤミン・ネタニヤフが遅くとも1995年には、イランの核武装は差し迫った危機だとして警告していたことを、思い出しておくべきだろう。
政治的にみると、現在のイスラエル・イラン戦争と湾岸戦争との間にはいくつかの共通点がある。当時のジョージ・H・W・ブッシュ米大統領は、イラク国民に対してフセインを打倒するよう呼びかけるような発言をし、もっともな理由で批判や強い非難を受けることになった。イラクのイスラム教シーア派勢力やクルド人は、米国が支援してくれると誤って信じて蜂起した。ところが米軍は近くの湾岸地域に駐留していながら傍観し、シーア派やクルド人は武装ヘリコプターで残酷に弾圧された。米軍は少したって、これらの住民がさらに攻撃されるのを防ぐために飛行禁止区域を設けただけだった。とくに、イラクで多数派ながら抑圧されてきたシーア派アラブ人の間では、米国に裏切られたとの思いが強く、2003年に米国がイラクに全面侵攻してフセインを退陣させた時にも、依然として米国への不信感を抱いていた。
現在、イスラエルのネタニヤフ首相もまた、イラン国民に対して体制を打倒するよう公然と促している。だが、イラン国民が蜂起した際に、イスラエルは直接支援したり協力したりする計画があるのか、あるいはイラン指導部を排除して反乱を成功に導く意向なのかは明確でない。


