具体的には「報告責任」は問うけれども「発生責任」は問わないということです。それで連絡をもらったら、謝罪は私が最初にするようにしました。これをずっと凡事徹底でやってきて、今はほとんど納期遅延がなくなりました。
そのあと、環境に配慮した物品や、サービスを積極的に購入することによって、環境負荷が軽減できる「グリーン購入」の賞、「グリーン購入大賞」をいただきました。これをきっかけに社員にも、こういう取り組みが世の中に認められるというのが伝わりました。私もだんだん認められるようになり、2005年に社長に就任しました。

再エネ100%で、顧客数が3年で約200社以上増加
━━1990年代後半に環境に着目したきっかけは?
私はクワガタをはじめとする昆虫が好きで、自然環境そのものに感心がありました。基本的にはそこです。しかし、会社として取り組もうと思ったのは、実際に入社して「紙をこんなに使うんだ」と実感してからです。
インキの缶が大量に積み重なっているような状況に違和感を覚えていました。そのうち「環境経営」というものがあることに気がついたのです。
そこで私が2005年に社長になる際、本業を通じて社会課題解決を実践する「ソーシャルプリンティングカンパニー(社会的印刷会社)」という言葉を使って商標登録をしました。そのメインは環境印刷です。
今は、CO2の排出量を削減したいお客様に対して、我々も協力できる体制にしています。弊社の顧客数は、過去3年で223社増えているますが、ほとんどの方が再エネ100%などの環境印刷に関心を持ってくれています。
あるワイナリーから受けた衝撃と社会貢献への着想
━━印刷を通じて社会的課題を解決するという着想も1990年後半でしたか?
それは2004年です。青年会議所で企業の社会貢献についての勉強会をしたのですが、私が理事となって1年間取り組んだ勉強会でした。地域活性にも役立つコミュニティを中心としたビジネス、コミュニティビジネスの話が出たのです。
そこで当時、紹介されていたのが栃木県のココ・ファーム・ワイナリーでした。そこを紹介するビデオで、障害者の方たちが一流レストランに通用するワインをつくるために働いていて、その姿に私は衝撃を受けました。その少し前に、障害者の方が着るための服飾をデザインする服飾デザイナーの方に出会ったことも大きかったです。
また、油藤商事の青山さんとの出会いも印象的です。青山さんは滋賀県のガソリンスタンド経営者で、ガソリンスタンドを町のエコロジーステーションと位置づけた方になります。まさに先駆けでした。
ガソリンを入れに来た人に「天ぷら油」を持ってきてもらい、それを原料に自社の小型プラントでバイオディーゼルをつくるということをやっていました。
その人も青年会議所のメンバーで、講演してもらったときにくれた言葉が、「本業を通じた社会貢献こそ王道である」というものでした。それで、あらためて企業の社会貢献とは何かと考えたときに、「印刷を通じてできる社会課題解決があるだろう」と考え、ソーシャルプリンティングカンパニーを商標登録したのです。
「ソーシャルプリンティングカンパニー」を掲げて承継
━━承継したのは2005年ですが、これは結構時間がかかった印象ですか?
思い出すのが、会社に戻ってきた25歳ぐらいのときに母が倒れたことですね。おそらく、安心して気が抜けたのが原因だと思います。要するに、母は1年でも早くバトンタッチしたいと思っていたのでしょう。


