3. 何があろうとも常に親切でなければならない
表面的にはこの思い込みは美徳に聞こえる。結局のところ、優しさはほとんどの文化や家庭で高く評価される特質だ。だが分別のない優しさは消極的なものになることが多い。
その親切は「思いやり」か、「拒絶を避け自分を守る」ためか
無礼で利己的、あるいは気難しいと思われないよう、謝りすぎたり対立を避けたりする、あるいは不当な扱いを大したことのないように扱ったり、断りたいのに「イエス」と言ってしまったりするかもしれない。このように常にいい人を演じることは他人を思いやるためのものだとは限らない。多くの場合、それは相手に認められたり、拒絶されることを避けるためだ。
専門誌『Journal of Social and Clinical Psychology(ジャーナル・オブ・ソーシャル・アンド・クリニカル・サイコロジー)』に2014年に掲載された研究によると、純粋な気遣いからではなく、好かれるために親切にする場合、不安や羞恥心、うつ、慢性的なストレスを経験する可能性が高くなるという。このような場合、親切は譲歩の一形態となる。
他人を操る人はこうした傾向をすぐに見抜く。あなたが自分自身を守ることよりも、親切だと思われることを気にしていることを察知する。そうした傾向ゆえに利用されやすい。他人を操る人にとって、あなたのおとなしさや忍耐強さ、そして境界線を設けたがらない性質は境界線を突破するためのツールとなる。
やがて「親切であること」と「黙っていること」を同一視し始める。本能をに抗い、怒りを抑え、平和の維持と内なる平和を混同する。
このようなパターンは、感情表現が抑制されたり罰せられたりする幼少期の環境からきていることが多い。面倒を起こさなければ「いい子」「育てやすい」などと褒められたかもしれない。自分を主張することが批判につながる環境で育った人はおそらく安全性と同意性を同一視することを学んでいる。
文化的あるいは性別的な条件付けはこのパターンを一層強める可能性がある。多くの社会では、特に女性や少女にとって優しさは従順であることと混同されている。やがて優しさは価値あるものではなくなり、生存のためのメカニズムになってしまう。
思い込みから卒業し、自由になるための方法
この思い込みから自由になるには、罪悪感を覚えることなく「ノー」と言い、敵意を向けられることなく反対意見を示し、あなたの境界線が侵害されたときに謝罪せずに立ち去ることを学ばなければならない。
優しさの意味を以下のようにとらえ直そう。
・優しさとは、何かが間違っていると感じたときに黙っていることではない
・優しさとは、あなたの価値を他人に決めさせることではない
・優しさとは、他人の快適さのためにあなたを抑えることではない
時には、自分の尊厳を守るために「ノー」と言うことが最も親切だったりする。境界線や率直さ、そして距離さえも深い優しさからくる行為となりうる。関係が一方的なものになったり安全でなくなったりしてしまった際のバランスを回復するのに役立つ場合は特にそうだ。
卒業の扉を開く鍵は、あなたの中にある明確さ
自己犠牲ではなく自尊心を選んだ瞬間に、「内なるルール」の支配力は弱まり、あなたは自分らしく生きられるようになる。それは、誰かに対して怒りをぶつけたり、非難したり、あるいは強く自己主張すること(攻撃的な言葉や態度で自分を示すこと)ではない。「内なるルール」から抜け出す扉の鍵は、自分の傷ついた感情を冷静に認識し、事実として伝えることや、何ができて何ができないのかといった「(あなたの)境界線」を言葉と態度ではっきりと示すことだ。「私(あなた自身)」が自分の状況を把握し、それを冷静に伝え、断固とした態度で示すという「明確さ」でなければならない。
そして、その力はもう、あなたの中にある。
あなたの行動を静かに支配している思い込みに気づき、「これは本物だろうか。これは私のものだろうか」と自問することが求められる。
(forbes.com 原文)


