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2025.06.15 17:00

自分を犠牲にしない「私」の始め方 優しすぎ・尽くしすぎに今日でさよならを

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2. 私がなんとかする、「緩衝役」になるのが私の仕事

この思い込みは「親切」を装うことが多い。他人を理解し、助け、癒す人であることは気高く、立派なことだと感じられる。だが気遣いが強要になったり、サポートが自己犠牲に変わったりすると関係のバランスは崩れ始める。

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あなたはもはやパートナーではない。調停者で相手の感情を受け止める緩衝材、あなた自身と他者のためにすべてをまとめる存在になっているからだ。

過度の共同性に関する2013年の研究はこのダイナミズムを解明している。過度の共同性とは自分のウェルビーイングを犠牲にしても他人を気遣う傾向のことだ。評価されたい、必要とされたい、安心したいといった自己中心的な動機によるものである場合は特に問題だ。

どれだけ他人に尽くせるかで、自分の価値を測ってしまう

こうした傾向が強い人は、どれだけ他人に尽くせるかで自分の価値を測っていることが多い。研究によると、この傾向は羞恥心や低い自尊心、不安型の愛着スタイルと関連しているという。これらはすべて、過度に他人に尽くすようにする一方で、そうした行為を当然視する余地を他人に与える。

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人を操ったり、感情的に未熟な人にとって、この思い込みを利用するのは容易い。そうした人はあなたの注意を引きつけるために、心の痛みを自分で処理することなくあなたに任せ、危機の責任をあなたになすりつけるかもしれない。そして変化が起きなかったり、心の負担が一層重くなったりすると、あなたは「十分に助けられなかった」「懸命に取り組んでいない」と自分自身を責める。

思い込みから卒業し、自由になるための方法

多くの場合、このシナリオの土台となる思い込みは幼少期からきている。親の機嫌をとったり苦悩を和らげたり、皆の感情に大人のように対処しなければならなかった場合、愛されることと役に立つことを同一視することを学んだかもしれない。そして大人になってからは、たとえ自意識が損なわれようとも、その役割に留まるようにしてくれる人を無意識のうちに求めるようになる。

だが相手を支えるためにあなた自身を放棄しなくてもいい。愛は労働である必要はない。

気遣いと責任を混同しなくなったときに初めて変化が起こる。相手が背負うべきことを、あなたが抱え込むことなく気遣ってもいいのだ。サポートと責任は同じではない。

困難を感じた時、以下のように自問することができる。

・あなたが自ら選んで相手を助けているのか、それとも強制からか

・相手は責任を取れるはずだと信じているのか、それともあなたが取って代わらなければならないと感じているのか

・相手を常に気にかけることで、あなたの中の何をないがしろにしているのか

あなたが自分自身を優先することは、冷たい、あるいは無関心ということではない。感情面での成熟を意味する。その過程であなたは自分を捨てることなく、思いやりのある人でいられる。真のサポートは双方を尊重する。それは「私は、相手には成長する余地があると信じている。そして、自分のものではない荷物を背負ったりしないと、自分自身を信頼している」ということだ。

次ページ > 3. 何があろうとも常に親切でなければならない

翻訳=溝口慈子

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