2025.06.12 10:45

ローカル密着の旅はラグジュアリーか? サードプレイスに可能性

京都市中京区にある錦市場(Ortho Bro / Shutterstock.com)

アメリカの都市社会学者、レイ・オルデンバーグは、1989年の著書『サードプレイス——コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』で、家庭や職場での役割から解放され、いち個人としてくつろげる空間、“サードプレイス”の重要性を主張しました。

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カフェやパブ、ビアガーデンなど、ヨーロッパ諸国で見られるコミュニティ形成の姿と比較しながら、当時のアメリカ都市社会のストレスや孤独の問題は「インフォーマルな公共生活」あるいは「公共にくつろげる機会」の欠如がもたらしていると指摘します。

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オルデンバーグが掲げるサードプレイスの特徴のうち、注目したいのは「ニュートラル・グラウンド(中立的な領域)」と「レヴェラー(人を平等にするもの)」の2つです。

そこに中立性はあるか?

ニュートラル・グラウンドとは「個人が自由に出入りでき、誰も接待役を引き受けずに済み、全員がくつろいで居心地よいと感じる」ような領域です。都市計画評論家のジェイン・ジェイコブスの言葉を引用し、「意義があり有益で楽しい会話ができるけども、自分の身辺に立ち入ってほしくないし、先方も自分に対してそう思っているような人」との気楽な社交が生活を豊かにするとし、そのためには誰にとっても中立な空間が必要だと主張します。

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もうひとつの特徴であるレヴェラーは、もともとはイギリスのピューリタン革命期に人々の階級や身分差の撤廃を目指して登場した極左派の名称でした。それが17世紀のイギリスでは「人を平等にするもの」という広い意味で使われるようになります。

例えばその頃興ったコーヒーハウスは、身分を超えた新しい親交が生まれる場所であることから「レヴェラー」と呼ばれ、そこに通う人々もまた「レヴェラー」と呼ばれました。

飲むものも立場もごた混ぜ。名誉ある判事、立派な弁護士の隣に、ペテン師やスリ、真面目な市民が分け隔てなく好き勝手な席に座っている。そんな空間で突如、それぞれが新しい結束の当事者となり、お互いを発見しあう。当時のコーヒーハウスはそんな場所だったそうです。

「誰にでも開かれていて、社会的な身分差とは無縁の資質を重視するような場所が、可能性を広げる働きをする」とオルデンバーグは説きます。

「ローカル密着」という言葉で抜け落ちてしまうのは、人が旅に求める「サードプレイス」性です。新しく訪れる人も現地の人も、お互いの生活に介入することなく、誰が接待役を務めることもない。人が旅したいと思う時、そのような場所で生まれる親交が自分を豊かにするという期待があるはずです。

ローカル密着型の旅が所々で歪みを生む一因は、私生活空間が強制的に侵食される、あるいは侵食しているという感覚があるからではないでしょうか。そのような不平等な空間で、気軽で有意義な交流ができるでしょうか。

訪れる側、受け入れる側、双方が平等に当事者となる中立の居場所、ローカルでもグローバルでもない「第3の場所」をつくるという姿勢がラグジュアリーな旅の設計に欠かせないのかもしれません。親密で深い交流は、必ずしも親密な空間や関係性から生まれるわけではない、という視点がこの分野には必要ではないかと今、切に思います。

文=安西洋之(前半)・前澤知美(後半)

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