保守的なブランドを改革。ラグジュアリーブランドへの転換を果たす。
その製品を手首に巻いてみるときは言うまでもなく、ビジネスにおけるブランドについて考えてみるときも、IWCシャフハウゼンは魅力的な対象だ。
1868年にスイスで創業されたアイ・ダブリュー・シー(創業当初の社名はインターナショナル・ウォッチ・カンパニー)は、長らく欧州を主なマーケットとし、アメリカやアジアでは“知る人ぞ知る”高級腕時計メーカーと見られていた時代もあった。それが今ではクリストフ・ヴァルツやケイト・ブランシェットらハリウッドスターをアンバサダーに迎え、日本での銀座ブティックを含めた50もの瀟洒な直営ブティックを世界各国に展開するグローバルな存在となっている。
このようにIWCがブランドとビジネスを大きく、そして急速に拡大させるにあたって核となったのは2002年、36歳で同社のトップの座に就いたドイツ生まれのジョージ・カーンだ。
今年50歳になったカーン自身は当時をこんなふうに振り返る。「それまでの経営陣は典型的な“時計産業人”たち。伝統的で保守的でした。その中に若い私が入っていった。それまで率いたことのあるチームは最大でも10人で、それがいきなり350人のトップです。『君は誰だ?』という反応でしたね」。
だが、彼にはひとつの確信があった。「そのころのIWCはスイス、ドイツ、イタリアの3カ国を主な市場とする小さくて、広くは知られていない未開発のブランドでしたが、潜在能力を引き出す大きなチャンスが見えた。これは凄い仕事になると思えたのです。サッカーでも1部リーグに留まる努力をするより、3部リーグから1部リーグに昇格していく方が楽しいし、やりがいがあるでしょう?」
大きな課題は主に2つあった。「マネジメントと製品」だ。
マネジメントについてカーンは、こんな“秘訣”を明かす。「自分の弱い分野では戦うな」、そして「ベスト・プレイヤーを見つけろ」。
彼自身は、IWCを擁するリシュモン・グループに入るまで、日用消費財(FMCG)のクラフト・フーズとラグジュアリー製品のタグ・ホイヤー(LVMH)という、販売価格帯では両極端ともいえる2社で能力を磨いてきたマーケティングのプロ。
「FMCG業界での課題は消費者の嗜好に対応することですが、ラグジュアリー産業では新たなアイデア、新たなトレンドを提示することが欠かせない。ビジネスのアプローチがまったく違いました」と言いつつ、IWCでも特にマーケティングに注力してきた。
チーム・ビルディングと業容拡大の結果として、CEO就任当時350人だったIWCの人員数は現在、世界各拠点の総数1,300人にまで膨らんだ。創業以来、スイスの時計メーカーとしては珍しくドイツ語圏のシャフハウゼンに構える本社には、世界各国から求職のエントリーが絶えないという。
製品ラインナップの面では、「新しいカルチャーは伝統の上に築かなければなりません。技術、品質、歴史を保ってこそ、消費者もIWCを信頼できる」としつつ、カーンは次のように指摘する。
「ラグジュアリー製品が求められるのは必要不可欠だからではなく、夢を生み出すから。大切なのはマーケットとのつながりのあるモダンなデザイン、最新の技術を盛り込んだ製品を提供し続けていくことです」
昨年、IWCとしては久しぶりに、製品を「ポートフィノ」シリーズに加えたことも、「マーケットとのつながり」を重視する姿勢の表れだ。「IWCに入ってから、私の仕事は毎年変わっています」というカーンの言葉は、マーケットがそれほど速いペースで変わり続けているとの認識を示すものだろう。
彼はさらにIWCの成功の鍵として、「製品につながりのあるストーリーやイメージを提供していくこと」という、マーケティング面での取り組みを強調する。ここでも重視しているのは「つながり(relevance)」だ。
実際、カーンはIWCにおいて、ガラパゴス諸島で生態保護活動を手がける研究所を運営するチャールズ・ダーウィン財団他、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ・ユース財団などを支援する独自の取り組みを続けている。これはIWCのプロダクトがそれぞれ特徴的で、固有のストーリーや意味合いを表現していることとつながるものであり、イメージ戦術を超えたマーケティング戦略、経営戦略として、プレミアムウォッチ業界以外からも大きな注目を集めてきた。
英フィナンシャル・タイムズ紙は昨年11月、創業150年近い老舗を再活性化させてグローバル・ブランドへと押し上げたマネジメントとマーケティングの練達としてカーンを紹介する記事に、こんなタイトルを冠している─「グローバル展開を図るIWCのルールブレイカー」。
その「掟破りの人」は語る。「大学などで若い人に話をするとき、まず言うんです、『常に眼を見開いていよう。あらゆるところからインスピレーションは得られる』」。