しかし長嶋さんはここでも不屈の精神を見せた。「もう一度、走りたい」という強い意志を胸に、懸命なリハビリに取り組み、徐々に回復していく姿は、病と闘う多くの人々、そして困難に直面する全ての人々に勇気と希望を与えた。その功績と、不屈の精神は高く評価され、2013年には愛弟子の松井さんとともに国民栄誉賞を受賞。この時、東京ドームで行われたセレモニーでは、松井さんが投じた一球に対し「打ってやろう」と一振り浴びせたシーンも、語り継がれるエピソードだろう。さらに21年には、東京オリンピックの聖火リレーにて、盟友・王さん、そして松井さんと共に聖火を繋ぎ、話題をさらったのは記憶に新しいところ。病を乗り越え、再び公の場に姿を見せたその姿は、まさに「生きる伝説」だった。
長嶋さんのカリスマ性は、単に人気があるというレベルではなかった。私事ながら、我が父は巨人ファンである以上に、長嶋ファンであった。それが故に1980年の長嶋監督解任劇の際は、実にあっさりと読売・報知の購読を打ち切った。この父は、私自身が立教大学に進学を決めた際は、息子の落胆をよそに「これでうちの息子も長嶋さんの後輩か」と感慨に耽っていたものだ。また長嶋一茂さんと私は同い年、同学年なのだが、一茂さんがドラフト1位でヤクルト・スワローズに入団した際、数年ヤクルト・ファンでもあった。私見ながら、そんな点にも長嶋茂雄さんのカリスマ性を見ることができる。
長嶋さんの逝去は、日本球界にとって大きな損失だろう。しかし、氏が残してくれた数々の伝説、感動的なシーン、そして「わが巨人軍は永久に不滅です」という言葉に込められた熱い魂は、私たちの記憶の中で永遠に生き続けることだろう。
「ミスタープロ野球」長嶋茂雄。その偉大な功績と、日本国民に与えた限りない夢と感動に、心からの感謝と敬意を表し、謹んでご冥福を祈りたい。
長嶋伝説もまた「永久に不滅」なのだ。


