2. 仕事と感じない部分を利用する
私の友人はゲーム理論をコード以外に使うことはほとんどないといっていた。だが、友人が自分の仕事について話せば話すほど、ゲーム理論を実践していることが明らかになった。友人は子どもの頃からビデオゲームにのめり込み、大人になった今、かつて夢見たものを作ることで報酬を得ている。
もちろん、納期や達成目標、毎週の最低労働時間などがあるが、友人にとってはそれらは紙の上の制約にすぎない。実際に友人を突き動かしているのは創造の直感的なスリルだ。それ以外のことは雑音であり、いくらか対応はしても服従するものではない。
ゲーム理論が心理学と実用的な面で交差するのはこの点だ。もしあなたが、自分の仕事の中で自分だけが楽しんでいること、そして他の人の目には退屈、困難、あるいはエネルギーを消耗させるものと映るかもしれないことを特定できれば、優位性を見いだせるかもしれない。というのも、競争環境において優位に立つということは、多くの場合、同じ量をより少ない心理的コストでこなすということだからだ。
ゲーム理論の用語でいうと、この場合、非対称的な報酬構造を利用している。つまり、同じ行動をとっても、あなたは同僚より高い内的報酬を得ることができる。他の人が努めて取り組むんでいるときに、あなたは没頭する。これにより、回復力が高まり、生き残れる。
これは、ナッシュ均衡を受け入れるという罠に陥るのを避ける方法でもある。ナッシュ均衡とは、たとえグループで突出する者がいないという状態になったとしても、それぞれが他の全員の戦略を考慮した上で合理的と思える戦略に落ち着く状態だ。誰かが根本的な損益構造を変えない限り、そしてそうしようとする人がいないため、誰も逸脱しない。
例えば、チームプロジェクトで、そこそこの取り組みをするという全員の暗黙の了解があるとしよう。それは公平に感じられ、誰も無理をしたくない。だが誰か1人でも、その基準を上回る取り組みをすることで得をすることができるかもしれないと気づけば、暗黙の了解を破るインセンティブが働く。暗黙の了解を破る瞬間、均衡は崩れる。他の人たちは取り組みを強化するか、遅れをとるリスクを負うことを迫られる。
真の均衡では、それぞれが持つ戦略は他の全員がやっていることに対する最善の対応だ。軌道修正しても誰も得をしない。だが、自分の内なるやる気が報酬の方程式を変えると、均衡の根拠そのものに疑問を持ち始めるかもしれない。


