アート

2025.06.11 17:30

「ディストピア」こそ創造性の源泉│市原えつこ

展覧会『ディストピア・ランド』/ Yujiro Ichioka

展覧会『ディストピア・ランド』/ Yujiro Ichioka

展覧会『ディストピア・ランド』で、奇想天外な未来とそこで生き抜く人間を表現した市原えつこ。多様な課題を抱える現代社会で、あえて「最悪」を見つめることによって得られる「希望」とは?


行政や企業との協業を通じてさまざまな未来予測に携わるなかで、私はうっすらと違和感を覚えることがあった。それは「明るい未来像」を構築することが、暗黙の前提条件となっていることへの疑問だった。個々のプロジェクトには職業人として真摯に取り組んだつもりだが、自分のなかには、この「希望」に対する純粋な信頼や共鳴と、それに対する根深い懐疑がいつも同居していた。

記憶に新しい疫病禍において、「明るい未来」や「輝かしいオリンピックイヤー」というビジョンは脆くも崩れ去り、その反動として巨大な絶望感が人々を覆った。現代を生きる我々に必要なのは、もはや一時的な快楽としての「まやかしの希望」ではなく、絶望的な状況にも耐えうる精神的な耐性ではないのだろうか。そもそも人類の歴史を振り返れば、「明るい時代」よりもむしろ混乱や惨禍と共にあった時間のほうが圧倒的に多かったはずだ。人類はどのようにそれを乗り越えてきたのだろうか。こうした問題意識が、『ディストピア・ランド』という作品(写真)の制作動機となった。

逆説的なポジティブさの可能性

私は、シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]の採択プロジェクトとして、『ディストピア・ランド』という展覧会と、そこから派生した市民参加型のプログラムを多数展開した。ユートピアが単一で画一的な未来像を提示するのに対し、ディストピアにはマルチエンディングのような多様な可能性と起爆力がある。私はその多様性に強く引かれていた。

3月の展覧会では、未来を考える創造的なツールとして「ディストピア」の概念を活用し多くのワークショップやアイディエーションを実施。そこで興味深い反響を得た。「ウェルビーイングやソーシャルグッドなどの思考のフレームワークが普及している現代において、『最悪な未来』という前提から考えることが新鮮だった」という感想である。すでに良い世界をさらに良くするという前提だけでは、もはや混沌とした現実をカバーできなくなりつつある。むしろ、「世界が最悪な状況になってもそれでもしぶとく生きていこう」という、一種の性悪説的な見立てのほうが、現在の世界情勢にマッチしているのではないか。

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文=市原えつこ

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