VRゴーグルとトラッカーを装着してメタバース空間で生活するバーチャル美少女ねむ。アイデンティティをデザインし、「なりたい自分になる権利」の確立を目指す。
「アバターをかぶって、ボイスチェンジャーを使って声を変え、名前を変える。そうすると、現実世現実世界の私とはまったく違う自分になっちゃうわけですよ」。そう語るのは、メタバース空間で生活する“メタバース原住民”のバーチャル美少女ねむ。
“世界最古の個人系VTuber”を名乗るねむは、2017年、キズナアイの登場に衝撃を受けて、個人でVTuberとしての活動をスタートした。現実社会では中年男性だが、美少女の姿を選んだのは「現実の自分から最もかけ離れた存在になりたかったから」。しかし、それは単なる変身願望ではない「仮想世界への没入は、自分の心のなかに潜り、新たな自分の可能性を見つける行為なんです」。
ねむとして活動するうちに歌やダンスなど新たな特技ができ、楽曲もリリースした。
そんなねむが活動初期から掲げるのが「人類美少女化計画」。バーチャル技術によって人類が「なりたい自分」になることを目指す試みだ。メタバース上では、性別、年齢、肩書といった制約から解放され、誰もが好きなアバターをまとうことができる。ねむが23年に全世界のメタバースユーザー約2000人を対象に行った調査では、ユーザーの8割近くが女性型アバターを選んでいることがわかった。その理由はファッションや感情表現のしやすさなどさまざまだ。「私たちは今、アイデンティティを『受け入れる』時代から『デザインする』時代へ移行しつつあるんです」。
これは、小説家の平野啓一郎が提唱し広く共感を得ている「分人主義」とも共鳴する。これは、職場、家族、友人など状況や人間関係によって 複数の「分人」を使い分けているという考え方だが、メタバースもなりたい自分を表現した「分人」になれる場所。ねむのような生き方が未来のスタ ンダードになるかもしれない。
ねむはエバンジェリストとしても活動し、23年には国連傘下の会議でスピーチしたほか、24年には産業技術総合研究所の「アバター国際標準化の国内検討委員会」の委員にも就任。アバター活用は産業の創出や労働力の拡張といった面でも 期待されており、内閣府はムーンショット目標で「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現する」としている。
「『男だから』『女だから』『高齢だから』という壁も、アバターならすべて取っ払える。自分を自由に設計し、クリエイティビティを解放できるんです。日本ではバーチャルな存在が社会経済活動に参加するための仕組みは未整備ですが、アニメやゲームに慣れていて架空のキャラクターを“人”として受け入れやすい土壌があるからこそ、『なりたい自分になる権利』の確立に向けて発信していく意義があると思っています」。
バーチャル美少女ねむ◎2017年から活動する世界最古の個人系VTuber。 メタバース文化エバンジェリストとして、VR技術やメタバース空間が社会に及ぼす影響を考察・発信している。著書の『メタバース進化論』(22年)は高校「情報」科目の副教材にも掲載された。