「5年で年商60億円。そして最終的には1000億円の企業グループにしたい」
静かにそう語るのは、ハートコア株式会社・神野純孝社長。NASDAQ上場を果たし、日本企業の新たな出口戦略として“アメリカ市場”の可能性を誰よりも体現する人物だ。だがそのキャリアは、華やかなビジネス街とは無縁の原体験から始まった。
風呂なしの家、小学生で月収7万円
神野氏は大阪の母子家庭で育った。祖父母、母、妹、そして彼の5人で、風呂もない家に暮らす“ど貧乏”な生活だったという。
「小学校5年生から新聞配達をしていました。夕刊だけで月7000円。朝刊もやるようになって月7万円もらってました。当時としてはかなり“リッチな小学生”だったと思います」
新聞配達は唯一、小学生でもできる“合法バイト”。小さな成功体験が、彼の中に「働くこと」への早すぎる意識を芽生えさせた。
楽して稼ぎたい——航空自衛隊へ
「働きたくないから、なるべく楽して稼ぎたいと思ってました」
そんな思考の中、大学3年の時に映画『トップガン』を見て感動。パイロットになるなら自衛隊しかない——そう考え、航空自衛隊に入隊。パイロットとしての厳しい訓練を経て、自衛官としてのキャリアをスタートさせた。
しかし、やがて起業の道を選ぶ。
スノーボード事業で年商60億円へ、そして転落
神野氏の最初のビジネスは「靴ひも」だった。しかし1年目の年商は50万円。ほとんど売れなかった。
転機はスポーツ用品店からのアドバイス。スポーツ市場に切り替え、2年目には売上が5000万円へ。そして出会ったのがスノーボードだった。「スキーよりも簡単で、1日でかっこよく滑れる。これは日本人にウケると思いました」
時代の波にも乗り、スノーボード事業は大ブームへ。わずか数年で年商は60億円を超えた。しかし、その絶頂からの転落は早かった。
自己破産はしない。「信頼は金より重い」
「私を信じて貸してくれた人たちに、返さずに終わるのは嫌だったんです」自己破産を避け、M&Aを繰り返す道を選んだ。20社以上の会社を立ち上げ、売却。毛髪関連、芸能事業など、多様なビジネスに挑戦し、売却益で借金を返済した。
やがて「疲れ果てた」神野氏は、外資系企業に再就職。約6年間サラリーマンとして働く中で、再び起業の火が灯る。そして立ち上げたのが現在のハートコアだ。



