数百年続く家業を継ぐべき立場に生まれおちることを考えたことがある人は、おそらくあまりいないのではないだろうか。京料理を代表する名店「瓢亭」。15代目髙橋義弘氏はそんな環境に生まれ、次の世代、そしてまた次の世代へバトンを渡すために日々、粛々と料理を続けている。
伝統を守り継ぐとはどういうことなのか、革新の必要性とは何なのか、「瓢亭」15代目に話を聞いた。
修行時代は「宝物」
今さら必要もないかもしれないが、瓢亭の成り立ちを簡単に説明しよう。南禅寺境内の門番所を兼ね、400年余り前に腰掛茶屋として庵を結び、代々家業を守り続けてきた。1837年からは料亭として、京料理界を牽引。本館は一棟ずつ独立した茶室が建てられ、なかには、創業時のままの茶室もあり、食事をいただくこともできる。

義弘氏に、いつからその重責を担う覚悟ができていたのかと尋ねると、「小学校の作文で料理人になりたいと書いていた」そうだ。何よりものづくりが好きで、家業を継ぐことに違和感はなかった。しかしながら、本当にその覚悟ができたのは、大学卒業後、金沢の「つる幸」(今は閉店)に修業に入ってからだという。
布団を送り、カバン一つで修業先の寮に入り、入社当日は夜12時まで仕事をし、朝4時には起きるという生活がいきなり始まった。今では考えられない話だが、「何もできない自分がありがたく修業をさせてもらっている」という気持ちが強く、苦労とは思わなかったと振り返る。
仕事以外、余計なことを考える時間もなかったという。そんな環境で先輩たちからいろいろなことを身につけ、また同時に後輩にも多くのことを教え、いつの間にか、体が料理の本質を覚えていった。
「今の労働環境は、有益なこともあれば、若い人たちにとっては不利な部分も多いと思います。うちの店でも、週休2日はもちろん、残業を増やさないために予約を制限することもあります。技術を磨くためには練習が必要で、なかなか家でできるものではない。
人間というものは、否応なしに閉じ込めれてこそ習得する部分も大きい。それもできるのは若いときだけ。スポーツ選手のように限界を超えるための努力をする経験が必要だと思うのですが、今の時代、なかなかそれができない。私自身『つる幸』での時間は宝物だと思っています」

代替わりをしたとはいえ、元気で毎日の花を生ける先代、髙橋英一氏。その妻である女将が、季節や会の趣旨に応じて軸をかけ替える。
「瓢亭という店は家族のようなもので、スタッフも含め、皆で相談し、意見を出し合いながら、メニューでもなんでも決めていく。そこに私の色も加えていくわけですが、世の中には個人名ではなく、あくまで“瓢亭の料理”として出したいと思っています。それが、伝統の上に立った料理という意味なんですね」



