2025年5月23日発売のForbes JAPAN7月号は「ビリオネアランキング2025 マスク、トランプの恩恵を受けたのは誰か?」と「未来は買える」を特集。毎年恒例のビリオネア特集で掲載する成功者の多くは、資産をもっていない時から、未来を買うために動いている。何を買うかにその人の理想が詰まっていて、それを実現するために、仲間や情報、お金を集めていく。では、人や企業はどんな理想を描いて、何を買うのか。その「買いもの例」から成功の道を探る。
M&Aや多角化で鉄道事業の概念を変えたJR九州だが、民営化直後は未来を展望することすら難しかった。「世界一の豪華列車」と事業拡大。「ななつ星in九州」の生みの親が語る軌跡。
「唐池、お前は何を言っとんのか」
はじめて唐池が豪華寝台列車の構想を話した時、先輩たちの反応はこんなものだった。その少し前の飲みの席で、社外のアイデアマンから「九州に豪華な寝台列車を走らせたら絶対ヒットしまっせ」という言葉に「ビビッときた」唐池だったが、当時は、民営化されたばかりで、唐池も営業本部の副課長という管理職になったばかり。しかも、時代に求められていたのはスピード。そのため、ブルートレインや寝台列車は廃止、あるいは縮小の方向だった。そして何より、当時のJR九州は生きるか死ぬかの瀬戸際にいたのである。その先見の明には驚かされるが、そんな余裕などなかったのだ。
瀬戸際でも攻め続けたJR九州
38年前の1987年、国鉄は民営化で6つの旅客鉄道会社に分かれた。国から早期の上場を期待される本州のJR各社に比べ、経営基盤の弱い北海道、四国、九州のJR3社はまとめて「三島(さんとう)JR」と呼ばれるなど、一段下に見られていた。ただ、その悔しさが社員の心に火をつけ、成長の原動力になる。
当時300億円近くの赤字を抱えた本丸、鉄道事業の抜本的改革から手を付け、無駄をなくして効率化も進めたが、JR九州はとにかく攻めた。まず、首都圏や近畿圏に比べ駅間距離が長かったことから50〜60もの駅を新設する。そして、国鉄時代は乗客が少ないからと減便一方だった特急列車を次々と増便。コストよりも乗客の利便性を最優先し、十数億円の増収につなげた。さらに、初代社長の石井幸孝が車両に詳しかったこともあり、他社に先駆けてデザイン列車を導入する。その理由について唐池は、「デザイン重視も他社に比べて20年ほど早かったんです。それはなぜか。お客さまが少ないからです。東京、大阪ならば大量輸送のために機能本位の車両になるが、九州は特急列車も満席にならないのですからデザイン性を豊かにして、お客さまに喜んでもらおうとしたわけです」。こうした積み重ねにより、初年度には1070億円もなかった鉄道収入は、10年ほどたったころには1300億円にまで増やしていた。
圧倒的な顧客重視で鉄道事業を再建するが、それだけでは心もとないと多角化にも乗り出す。阪急電鉄の創業者である小林一三と同様に、目を付けたのは沿線事業。沿線にマンションを建設して鉄道需要を高めた。加えて、国鉄時代からあるキオスクをグループ会社にし小売業に、立ち食いうどん屋から居酒屋、焼き鳥屋といった飲食業にも進出する。挑戦する判断は「駅との親和性」。その後も、小倉駅に初めて商業施設の入った駅ビルをつくって大成功。駅ビルは長崎駅、鹿児島中央駅など県庁所在地の各駅に誕生した。
多角化が成功した理由を尋ねると、「最初はプロに教えを請いますが、ノウハウを徹底的に学んで自社のものにしたことですね。だから、飲食業は駅から離れた場所でも成功している。JRを含めた鉄道会社でうまくいっているのは当社だけですよ」と唐池は胸を張る。もちろん事業のなかには失敗したものもあったが、新たな事業を着実に芽吹かせ、経営を安定させていった。



