1912年4月に沈没したタイタニック号とともに北大西洋の海底へと消えていった積み荷のうち、最も価値が高かったものは何だろうか。ほとんどの人は、金(ゴールド)やジュエリー、現金、宝石を思い浮かべるだろう。
タイタニック号が沈んだとき、そうした高価な品物の多くも失われたのは事実だ。しかし、海の藻屑となったかけがえのない貴重品はそれだけではない。例を挙げよう。
・メリー=ジョゼフ・ブロンデルの絵画『チェルケス人の沐浴』
新古典主義の大きな油絵で、かなりの価値があった。持ち主は、生存者の一人でスウェーデンの実業者マウリッツ・ホーカン・ビョルンストロム=ステファンソンだ。同氏はニューヨークに到着後、タイタニック号を運用していたホワイト・スター・ライン社に対し、10万ドルの賠償金を請求した(現在の通貨に換算して約200万ドル[約2億9000万円])。
・宝石があしらわれた『ルバイヤート』の装丁本
ルバイヤートは、11世紀ペルシア(イラン)の詩人オマル・ハイヤームによる四行詩集。贅を尽くした装丁が施された、貴重な1冊だった。
・スタインウェイのグランドピアノ5台
技を極めた当時の職人が作った最高級のグランドピアノは、タイタニック号とともに海へと消えた。
・1912年製のルノー「タイプCBクーペ・ドゥ・ビル」
一等船室の客だった富豪のウィリアム・カーターが所有していたこの豪華な自動車も、悲惨な海運事故で海へと押し流されてしまった貴重品だ。
・フランシス・ベーコンの初版本
英哲学者フランシス・ベーコンによる随想集の価値ある初版本(1598年出版)も失われてしまった。
・数々の上質な磁器
装飾的な花瓶や食器類といった上質の磁器も、タイタニック号とともに海に沈んだ。
・アヘン
タイタニック号とともに海に沈んだ違法物品には、貨物室に搭載されていた大量のアヘンもあった。
しかし、タイタニック号の道連れになった積み荷のうち、最も価値が高かったものといえるのはおそらく、エキゾチックな鳥の羽根だ。40以上の木製クレートに詰められて、ニューヨークにある婦人帽子の工房に届けられる予定だった。
では、ニューヨークでそうした鳥の羽根が高値で取引されていた理由と、婦人帽子業界が鳥の個体群に与えた壊滅的な影響について説明しよう。
鳥類の絶滅を招いた「羽根飾り付き帽子」の人気沸騰
19世紀末から20世紀初めにかけて、ニューヨークは婦人帽子業界の中心地となった。その原動力となったのは、上流階級のあいだで、贅をつくしたおしゃれな帽子の需要が拡大したことだ。



