第二に思うのは、ファッションにせよインテリアにせよ、全体をコーディネートする際に求められる力は増す一方ということです。
第一の点とやや衝突しますが、ある単品についての成熟した目が必ずしも全体をつくる力を意味するわけではないです。あるメーカーのものや1人のデザイナーの作品で統一する方が圧倒的に易しい。他方、さまざまなセカンドハンド品を主体に構成するとは、かなりの技量を要します。前澤さんが紹介しているFUNagainの高島さんは、ご自身に構成力があるから、新しいマーケットづくりに確信があったのでしょうね。
ここで、ふと想起したことがあります。ミラノのブレラ美術館の別館として近代絵画をメインとした美術館・パラッツォ・チッテリオが昨年12月にオープンしました。ここには複数のコレクターの寄贈品も展示されています。同館ではコレクターの方針を優先しているので、同じ作家の作品がまとまって展示されておらず、こっちの部屋とあっちの部屋に同じ作家の絵画が散らばっているとのケースがあります。
そのために鑑賞者のなかには見づらいと文句を言う人がいます。しかし、コレクターの意図に関心のある人には、ある作家の作品とコレクションへの考え方の軌跡の2つを同時に楽しめることになります。
セカンドハンド市場が成長するとは、企業や作家の側ばかりに主導権があるのではなく、消費者や作品の受け手が主役として登壇することです。この潮流をラグジュアリーの新しい方向として歓迎しない手はないです。ただ、受け手の力量がさらに要されていることは肝に銘じないといけません。


