この記事のなかでベルガンティさんは、「高価で手に入りにくいアトリエで制作された、素晴らしいファーストコレクションを人から人、世代から世代へと分かち合い、その価値をシェアして共有できる二次市場」と、ソーシャルメディアがセカンドハンド市場を後押ししていると指摘しています。前述した「赤みを帯びた主」が居づらくなった背景に、価値を共有するナラティブの存在がありそうです。
そして、「各メゾンブランドは、そうした市場の現状をまだまだ理解できていないようですが、これからのハイエンドブランドは、ゴッホやレンブラントの時代を超えた『アート作品』としてその意味をとらえられ、二次市場においてビジネスの活路を見出すようなマーケティングに移行していくと思っています」とも話しています。
2020年に各ブランドが変化の兆候をつかんでいたとしても、市場が伸びる大きな胎動をリアルには実感していなかったことが思い起こされます。
実は、ベルガンティさんは日本人のデザイナーのセカンドハンドは日本で入手しやすいと、いつも日本で購入するので、一石二鳥を狙ってこの場所をインタビューの舞台にしました。その場で彼はヨウジ・ヤマモトのコートを買い、インタビューにのぞんだ。傍で彼を眺めながら、セカンドハンドに馴染むためのロジックと感覚の両方を身に着けていると感じました。
もう一つは20代前半の息子の反応です。亡くなったぼくの義理の父親はおしゃれな人で、コートやジャケットなどカシミアの質の良いものをもっていました。ぼくも形見で何着かもらい一時は着たのですが、じょじょに手が遠のきます。というのも、服が重いです。
そうしたら、息子が着るようになりました。おじいちゃんの服という思い入れとは無縁に、ただ質とスタイルが気に入ったようです。そもそも重量を気にしない。それが若さなのか。重い服から軽い服に移行する経験をもつ人間にとって重さは敏感なテーマですが、その軽量化の進展をさほど経験していないと鈍感なテーマなのか、とも想像せざるを得ないほどに気に入って着ています。
以上、前澤さんの文章を読んで思いついたことを、そのまま書きだしてみましたが、こうして第一に思うのは「新しいものがベスト」という価値観が崩れてきたということです。
古いモノ、他人が使ってきたモノへの嫌悪感が消えてきました。その嫌悪感を上回る商品価値、あるいはサステナビリティの価値とのバランス、こうした観点でセカンドハンドに軍配があがるようになった。人々の間でより複合的にモノをみる訓練ができてきた証でしょう。成熟した目をもつようになったのです。または、成熟した目をもたないとやっていけないほどにモノが溢れているとも表現できます。


