減塩生活の課題は見えてきた。重要なのは、それを解決する手段だ。当初は食品素材や調味料、調理法の開発を模索した。ただ、減塩の素材開発は多くの企業が取り組んでいて、昔に比べて味は格段に進化していた。むしろ非食品の技術と組み合わせたほうが新機軸を打ち出せると考え、異分野での技術探索を始めた。
目をつけた異分野のひとつがVR(バーチャルリアリティ)だ。実は佐藤は『攻殻機動隊』『マトリックス』などのSF作品のファンで、VRの学会にも参加経験がある。「視覚や触覚のVR技術は徐々に社会実装されつつあります。一方、味覚や嗅覚は研究が進んでいるものの、製品化や事業化が遅れていた。このシーズを減塩生活のニーズとかけ合わせたら面白いものができると考えました」
共同研究のパートナーとして協力を仰いだのは、明治大学の宮下芳明研究室だ。
宮下はヒューマンコンピュータインタラクションの研究者で、近年は味覚メディア技術で、「白ワインの味を赤ワインに変える」「毒キノコの味を安全に味わう」など、常識を覆す食体験を次々に実現させている。電気味覚で健康課題を解決したいとアプローチしたところ、宮下は「やりましょう」と快諾してくれた。
問題は予算である。キリンには、業務の1割を、社会課題の解決や次の事業につなげるため、好きな研究や事業開発に充てられる「10%ルール」がある。佐藤はこの仕組みを活用した。堂々と研究できるが、予算が自動的につくわけではない。共同研究に進むには予算の獲得が必須であり、上司の承認が欠かせなかった。
「最初はプレゼンしても、『うちは食品や医療の会社。なぜ電気デバイス?』という反応でした。これは私の提案が甘かったから。どのようなかたちの事業になり、どれだけの利益を得られるのか。そのゴールまで描いてやっと予算を勝ち取れました」
新規事業開発プログラムで開発を加速
キリンと宮下研究室の共同研究がスタートしたのは19年。まず取りかかったのは、塩味やうま味を増強する電流波形の探索だった。
「単に味が増せばいいわけではありません。同じ強さでも、急激に流すと刺激を感じたり、逆に緩やかにしすぎると味が増強される前に食品を飲みこみかねない。ちょうどいいタイミングで、塩味とうま味がいい塩梅になる波形が必要でした」
実験には、食塩水の他、減塩生活者が医師から控えるよう指導されるラーメンや汁物を使った。実はキリンのオフィスと、宮下研究室のある明大中野キャンパスは隣同士。佐藤は足しげく研究室に通い、研究を手伝う学生らとともに試食を繰り返した。商品化が可能なレベルの波形を2年がかりで探索して特許を取得した。
この過程で体制にも変化があった。プロジェクトがキリングループの新規事業開発プログラム「キリンビジネスチャレンジ」の最終審査を突破したのだ。
キリンビジネスチャレンジには4段階の審査がある。突破するごとにメンターや検証予算がついて事業計画がブラッシュアップされていき、最終審査を通ると事業化となる。佐藤のプランも20年に最終審査を突破。この段階で10%ルールから外れて「本業」となった。くしくも波形の探索にめどが立ち、次のデバイス開発に進むタイミング。これで開発は加速した。


