経済・社会

2025.04.30 08:15

ベトナム戦争終結50年 南ベトナムの余命を言い当てた朴正煕

2025年4月19日、ベトナム、ホーチミン市:ホーチミン市でベトナム戦争終結50周年を記念する看板を設置する労働者たち。ベトナム全土、特にホーチミン市(旧サイゴン)では、祝賀行事の準備が進められている。(Photo by Carola Frentzen/picture alliance via Getty Images)

2025年4月19日、ベトナム、ホーチミン市:ホーチミン市でベトナム戦争終結50周年を記念する看板を設置する労働者たち。ベトナム全土、特にホーチミン市(旧サイゴン)では、祝賀行事の準備が進められている。(Photo by Carola Frentzen/picture alliance via Getty Images)

1975年4月30日、ベトナム民主共和国(北ベトナム)軍の戦車が、サイゴン(現ホーチミン)にあるベトナム共和国(南ベトナム)大統領官邸に突入した。南ベトナムは降伏し、5万8千人の米兵と330万人以上のベトナム・解放戦線兵、民間人が亡くなったベトナム戦争が終結した。1973年1月のパリ和平協定に基づき、米軍が同年3月までにベトナムから撤退して2年余りの出来事だった。

米軍とともにベトナムから撤退したのが、約5千人の戦死者を出した韓国軍だった。当時の朴正煕大統領の側近だった康仁徳元統一相によれば、朴正熙はパリ和平協定を受けて閣議を開いた。朴は閣僚たちに「南ベトナムは後、どのくらい持つと思うかね」と尋ねた。閣僚の一人は「そうですね、10年くらいでしょうか」と答えた。別の閣僚は「米国は南ベトナムに十分な支援をしたようですから、20年はもつと考えます」と主張した。

20分ほど、たばこをくゆらせながら閣僚たちの意見を聴いていた朴正煕は、毅然とした口調でこう語った。「いや、3年だ。南ベトナムは3年しかもたない」。陪席して聞いていた康氏はノートに大きく「3年」とメモしたことを覚えている。康氏は「朴正煕大統領は常に米軍との協力について心を砕いてきた人でした。だからこそ、米軍がいなくなった南ベトナムは長くもたないと考えていました」と説明する。

朴正熙が1964年、韓国軍のベトナム派兵に踏み切ったのも、米韓同盟を維持することが目的だった。当時はまだ、北朝鮮が韓国を経済力で上回っている時代だった。ニクソン米大統領(当時)が1969年7月、地域同盟国の一層の負担を求める「ニクソン・ドクトリン」を発表すると、朴は極秘裏に核兵器の開発を指示した。米軍の動向に神経をとがらせていた朴正煕は、米軍が撤退した以上、北ベトナムが早晩、南ベトナムに侵攻すると読んでいた。

さらに康仁徳氏は「南ベトナムの腐敗もひどいものでした」と語る。当時、KCIA(韓国中央情報部)に所属していた康氏は1965年、南ベトナムを訪れて情報機関関係者と意見交換した。サイゴン市内を視察すると、マーケットで様々な米軍の装備品が売られていた。「ないのは戦車くらいでした。案内人がこっそり、米軍からの支援物資を南ベトナム軍が横流ししていると教えてくれました」(康氏)。

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文=牧野愛博

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