私たちは「選んでいる」のではなく「選ばされて」いる
コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は著書『選択の科学』(文春文庫)の中で、アメリカの退職金積立(確定拠出年金・通称401k)に関する選択と決断の事例を紹介しています。
この制度は、退職後の生活費などをあらかじめ投資運用で準備するためのものです。勤務先の会社ごとに金融機関と提携して、さまざまな商品プラン(ファンド)を用意します。どれを選ぶかは、働く人が自分で自由に決めることができます。
このとき、金融商品の選択肢が多くなるほど、制度の加入者が減ることが明らかになっています。投資運用の選択肢の多さに圧倒されて加入の決断ができず、そのまま先送りして未加入のままという結果に終わっているのです。
また、多くの選択肢の中から選んだ人ほど、大きなリターンが期待しにくいプランを選んでいました。例えば、長期的に伸びそうな業界や会社の株式を探すのではなく、すぐに思いつきやすい会社の株を買うといった行動です。
数多くの投資運用プランを見比べるうちに「決断疲れ」が起きたのでしょう。決断そのものをやめてしまうか、よく考えずに答えを出してしまったのです。
こうした現象は、結婚式や葬儀などの冠婚葬祭時にも起こりがちです。
基本プランの他に数多くのオプションが用意されており、「決断疲れ」に陥ってしまったところに、「一生に一度のお式ですから」「故人様のために」などの言葉に後押しされた結果、あまり必要のないオプションを付けてしまった……という話はよく聞きます。
あれこれ選べると、自分らしさを反映した豊かで価値のある買い物ができるというメリットもありますが、あまりに選ぶものが多いとすっかり疲れてしまい、売る側の「おすすめ」の思うつぼになっていることもある、というわけです。
私たちは自分の意思でさまざまな決定をしているつもりですが、実は与えられた選択肢の中で「選ばされている」ことも多い、ということですね。
Amazonや楽天など、大手ショッピングサイトの「おすすめ商品」も「決定麻痺」を巧みに利用しています。
例えば、Amazonで「ミネラルウォーター」を検索してみると、何百件もの商品がずらっと画面に並びます。事前に買う商品を決めていなかった場合、それぞれにどんな違いがあるのかを調べると思いますが、商品数が多すぎて早々に「考えるのが面倒くさい」「決められない」という「決断疲れ」状態になってしまいます。特に、急いで買わなければいけないなど、時間がない状況だと、なおさらでしょう。


