“装い”という非言語のメッセージ
ヴィンテージ服の魅力は、何よりもまずその“ストーリー性”にある。その服が生まれた背景、仕立てられた時代、誰かの人生をともにした痕跡。一点ものとしての存在感と、量産にはない独自の空気をまとう服たちは、単なるファッションではなく「語る服」として人々を惹きつけている。
また、持続可能性の観点からも、ヴィンテージは今の時代に合った選択肢だ。大量生産・大量消費からの脱却を目指す現代人にとって、過去に作られた良質なアイテムを“使い続ける”という行為は、静かで美しいサステナブルアクションである。
とはいえ、それが「仕事の場」をはじめとした「プライベートではない、社会的役割と責任を担う場においてふさわしいかどうかは、慎重な見極めが必要になる。ヴィンテージの取り入れが歓迎されるか否かは、業界や職種、企業文化、その場所、接する人によって大きく異なる。たとえば、ファッション、広告、デザインといったクリエイティブ業界では、「個性」や「審美眼」として好意的に受け止められるケースが多い。
一方で、金融、法律、行政といった保守的な業界では、伝統的な装いが信頼の基準となる場面も多く、ヴィンテージの取り入れ方には注意が必要だ。
けれども、だからこそ考えたいのは、「どう取り入れるか」ということ。ヴィンテージの服そのものがビジネスにふさわしいかどうかではなく、それをまとう“姿勢”と“意志や意識”が研ぎ澄まされ洗練されているかが問われているのだ。
エグゼクティブやプロフェッショナルにとって、外見やプレゼンスはただのスタイルではない。それは「信頼に足る人か」「どんな価値観を持っているか」「この人に任せたいか」といった問いに、言葉ではなく、佇まいで応える装置である。
そして、外観そしてプレゼンスは、可視化されたその人の意思決定だ。何を選び、何を選ばないか。どこに投資し、何に価値を置くか。そうした意思の積み重ねが、装いとして目に見える形で表れている。
ヴィンテージという“過去の服”を、今の文脈でどうまとうか。そこに、その人自身の美意識や価値観が宿る。そしてその選択が、装いそのものに力を与える。
筆者は、基本的に“誰のもとから来たのかわからない”ヴィンテージは身につけないという立場をとっている。しかし、信頼する大切な人から譲られたものは、その由来を理解したうえで、場や目的を吟味し、自分自身の今を客観的に把握し、バランスをもって取り入れることはある。
それでも筆者の手元にあるヴィンテージと呼べるアイテムの多くは、タイムレスでクラシカル、そしてオーセンティックとされるものばかりだ。それほどベーシックでスタンダードなアイテムであっても、時代の空気と微妙に噛み合わなければ、古臭く見えてしまうことを身をもって理解している。だからこそ、“サステナブルだから”“古着がトレンドだから”と無条件に正当化し、ヴィンテージや古着を掲げる人々には、冷静さと客観性を持つことの重要性を、そっと伝えたいと常に思っている。


