ここ数年、古着の存在感が改めて高まりを見せている。とりわけZ世代やミレニアル世代を中心に、その傾向が高まっていることを実感する。
先日視察に行った、ニューヨークの「NOT A NORMAL MARKET」は、 「サステナブルなマーケット」というテーマでアパレルを中心に様々な店やブランドが出展。3月の14〜15日、21〜23日の週末に計4日間の開催で、ファッション関係者であればある意味思い入れの強いであろう、元Barney’s New Yorkだった場所が会場として使われ、大変な賑わいを見せた。
驚くべきことに、出展の8割方がヴィンテージ服の店だった。実は主催者もそうなるとは考えていなかったそうだ。サステナブルな服・ファッション=古着、ヴィンテージ服といったように、”イコール”になりつつあるのだろうか。
確かにヴィンテージは、サステナブル(持続可能)性や一点ものとしての希少性、また過去の時代が持つ美意識への共鳴など、現代の価値観にフィットするポジティブな側面を多く備えている。筆者もその一つの選択肢としての可能性と魅力は十分に認めている。
ただし、場所・立場・接する相手・状況といった要素を踏まえたうえで、その装いがどう受け止められるのかについては、これまで以上に慎重な判断が求められる時代に入ったと言える。現在では選択の幅が広がり、選択の自由が公然と謳われるようになり、セルフケアやセルフラブといった、自分の心地よさを第一にする思考も広まった。
ルッキズムという言葉の元に、人の外見による事柄に触れるのがタブーになりつつある。しかし、逆にいえば、言わないし触れないけど、無言で判断され、判別されて、離れられていく状況も一層多くなっているとも捉えられるのだ。例えその服装を、自分では「好きで選んだ」としても、その選択が与える印象や他者からの本心は、あなたの好きを肯定するものではない可能性が、従来以上に高まっている。より注意が必要になるわけだ。



