本展覧会ほか、今井邦子文学館(下諏訪町湯田町)では座談会も開催され、「この街に残る宥のエピソードを語る会」として、町民から寄せられた多くの逸話が披露された。
その座談会には、松澤と交流のあったアーティスト前山忠さん(新潟GUN)も参加されていた。前山さんが会場で述べられたことは、過去現在そしてこれからの「松澤宥」を的確に評しているように思えたので、以下に引用させていただく。
「松澤さんは、今でこそコンセプチュアル・アートの一側面を切り開いた人物として海外を含め評価されるようになったが、当時は全くの異端だった…(中略)…正当に評価されるようになったのは最近と言っていい。今後、西洋とはまた違った、日本独自のコンセプチュアル・アートがあったと認知されることを願っている」
座談会で印象に残ったエピソードをもうひとつ紹介したい。松澤はプライベートでは定時制高校の数学教師でもあったが、以下は当時の生徒から寄せられたエピソードだ。
ある日の数学の授業で「高等数学では、端的に言うと平行線は交わるということです」と松澤は話し、黒板に図(図1参照)を描いた。
「これを一筆書きで通してみよう。みんなは解けるかな? 普通は大学生でも解けないよ。解けたら大したもんだ」と問題を出したという。2時間もの間、生徒たちはあれこれと答えを出したがついに正解は出なかった。最終的に松澤が生徒に示した答えは、「2次元ではなく3次元で考えろ」というものだった。その答えを聞いた生徒の一人は「ああ、こういうことなのか。自由でいいんだな」と思ったという。
試しにこの問題の解き方を松澤作品の解釈にも当てはめたとする。松澤の作品に接するときには ──そう、あなたが見たそのままを解釈するのではなく──裏側から見たり、上から見たり、もしかしたら目を細めたり、あるいは見ることさえせず、目を閉じ心の中で想像したり…ということが必要なのかもしれない。
そして教え子の生徒が「自由でいいんだな」と感じたように、いまここにある世界を既成概念にとらわれず、ルールに縛られず、空気に飲まれず、もちろん誰に強制されるわけでもなく「自由に観る」ということも、松澤作品を通して学べることなのではないかと思う。


