松澤宥[まつざわ ゆたか/1922–2006]は諏訪湖のほとり長野県下諏訪町で生まれ育った。後に現代アートの世界で活躍し、アートやカルチャーの中心地である東京ではなく、下諏訪町から作品を発表し続けた「特異な」アーティストである。近年再評価の気運が国内外ともに高まっており、国内では2022年に長野県立美術館、松本および下諏訪の各施設で大規模な回顧展が同時開催された。
今回私が訪れた「松澤宥 生誕103年祭」(2025)は、そのスピンオフとでもいう展示である。旧矢﨑商店という下諏町の元生糸問屋の商家を活用して開催された。諏訪地方はかつて製糸業で栄えた歴史があり、松澤も同じく製糸業を家業とする旧家の生まれであるという。
展示はレトロな近代和風建築をうまく活用しながら、土蔵の暗がりを逆手にとって利用するなど、小規模ながらも充実したものだった。私は初めて触れる本物の松澤作品に興奮し、そして戸惑った(言い訳をするわけではないが、きっと松澤宥の正しい鑑賞方法である)。その一方、スタッフの方々が来場者に積極的にコンタクトし、コミュニケーションをとっているのも印象的だった。
松澤のある時期(1964年)以降の作品は、コンセプチュアル・アート(概念芸術/観念芸術)と呼ばれるもので、そもそも理解するのが難しい。いわゆる現代アートである。加えてコンセプチュアル・アートの中でも松澤の作品は、独自の東洋的感覚や土着的要素も屋台骨となっているから、さらに難解と言っていいのかもしれない(しかしそれが松澤のオリジナリティとなっている)。
ある鑑賞者が「私が知っている美術とは違うものなのね」と漏らしていたが、それはおそらく的確な言葉である。逆をいえば、コンセプチュアル・アートが現代アートの本流と呼ばれ、革新的である理由はそこにある。
しかし、そんなある意味難解な作品を前にして、いや例え難解であろうと、ああだこうだと鑑賞者とスタッフが意見を交わす姿は至って自然な光景で、当たり前のことであるように思えた。美術館でかすかな咳払いが時折響くなか、姿勢を正して鑑賞する美術もよいものだ。しかし、生活の延長線上に存在している美術、そこに美術が存在しているから新たな交流が生まれるという、美術と人との関係性はとても健全なものに思えた。
松澤の作品は諏訪という土地から多大なインスピレーションを得ている。今回の展示では、その〈美術〉と〈人〉に〈土地〉も加わり、ゆるやかな循環が生まれているように感じた。
ある鑑賞者は作品を前にしてこう感想を述べた。
「松澤宥という人は、物質では幸せになれないということを知っていたんじゃないかな。例えばこの作品※ではΩ(ギリシャ文字のオメガ)を上下にひっくり返しているでしょう。私にはそれが「世の中とは違う見方もあるんだよ」と伝えているように思える」
※《観念美術に向かって》セクションにて展示されたコラージュ作品「無題」(制作年不詳)についての感想。時計ブランドオメガのロゴ入り箱のプリントを天地反転させて中心部に配置している。Ω(オメガ)の天地反転文字は、Ψ(プサイ)同様に松澤が頻繁に用いるモチーフである。
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