時を進めて今年(2025年)の1月、都内の某珈琲チェーン店で友人と会った。残念ながら午後の時間帯だったので、名物のモーニングサービスにはありつけなかったが、久しぶりの再会ということもあって話は弾んだ。その友人を仮にNさんとしよう。Nさんは7年ほど前に東京から下諏訪町に移住した女性である。
Nさんはアート関係の海外広報をしながら、ジャズ・シンガーとしても活躍し、ときには畑も耕している。前回の御柱祭では、御柱の上で木遣り(甲高く掛け声のような歌をうたう)を務めたという。その様子をYouTubeで見せてもらい、まるでカイに乗るナウシカのように勇敢だと私は感動した。
そうして陽が沈む頃に話が一段落すると、そうそう“マツザワユタカ”って知ってる?とNさんは一枚のチラシを取り出した。私は「松澤 宥 生誕103年祭」と印字されたフライヤーを受け取り、タイトルに挟まれるように切り抜きでざっくりと配置された白髪に白髭、白スーツと白づくめのミステリアスな紳士を眺めた。そのうち不思議と「ああ、これは諏訪に行かなければいけないな」と思い始めた。
今振り返ると、そう思うに至ったのには理由がある。私がかつて画面越しに見た神秘的な光景に感じたものと、マツザワユタカというアーティストの風貌から伝わってくるものが妙に一致したからだ。
3月中旬、私は立川駅から松本行きの特急あずさに乗り込んで下諏訪に向かっていた。山道を通るからか、特急あずさは案外揺れる、ということをトイレに立ったときに私は知ることになる。
2泊3日の旅程であったが、宿は桔梗屋という姉妹が営む旅館にお世話になった。下諏訪には江戸時代に栄えた宿場街道が、当時の風情を伝えるかのように残っており、桔梗屋は中山道と甲州街道のちょうど合流地点に位置する歴史ある宿だ。古くは十返舎一九や安藤広重も逗留したというから、その時間軸の壮大さには目が眩む。もちろん、かつての旅人も疲れを癒したであろう良質な温泉付きである。
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