朱川湊人(しゅかわ・みなと)が、短編集「花まんま」で第133回直木賞を受賞したのは、いまから20年前の2005年のことだ。文庫本では60ページにも満たない標題作の「花まんま」を、前田哲監督は当初から映画にしたいと考えていたという。
「愛するものを突然失った悲しみと、その喪失感を埋めたいという思いが交錯する物語」に前田監督は心を打たれ、映画化を熱望していた。また「兄と妹のキャラクターが醸し出すユーモア」にも惹かれ、17年前に一度、企画は動き出したが、残念ながら実現には至らなかった。
しかし、前田監督の胸中には原作へのこだわりが燻り続けていた。数年前に再び映像化権を得て、映画「花まんま」は動き出す。言わば20年近い監督の思いがずっしりと降り積もった作品なのだ。直木賞受賞作品がこれほどの歳月を経て映画化されるケースもあまり聞いたことがない。
「まんま」は「ごはん」を意味する幼児語だが、「花まんま」とは、子どもたちが「ままごと遊び」で花をごはんに見立ててつくる「弁当」を指す。物語のなかでは白いつつじの花がごはんで、中央に梅干しとして赤いつつじの花があしらわれ、おかずには他の花や葉が詰まっている。
この「花まんま」が、物語のなかでは登場人物たちの心を揺り動かす重要な役割を担っており、観る者にとってもじわじわと温かな感動を生み出す源泉ともなっている。
原作小説との幸福な「化学反応」
前述したように、原作となる小説は短編であるため、前田監督は映画化にあたって、かなり物語の拡張を図っている。小説では主人公の回想のかたちで子ども時代の出来事が語られていくのだが、映画では物語展開の中心を現在に置いて、原作にはない独自のエピソードも登場させている。
俊樹(鈴木亮平)とフミ子(有村架純)の兄妹は、27年前にトラック運転手だった父を亡くし、16年前には女手ひとつで自分たちを育ててきた母も亡くし、それ以後ずっと2人で暮らしてきた。兄の俊樹は、フミ子が生まれたとき、亡き父からは「何があっても妹は守らなあかん」と言い渡されていた。
母が他界した後、俊樹は4歳年下のフミ子のために「兄貴はほんま損な役まわりやで」とぼやきながらも、高校を中退して工場で働いてきた。いまはフミ子も大学の職員として働いているが、そんな妹から俊樹は結婚したいという報告を受けていた。



