食&酒

2025.04.29 15:00

建築家、大阪万博に挑戦す|藤本壮介×小山薫堂スペシャル対談(後編)

放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、建築家の藤本壮介さんが訪れました。スペシャル対談第17回(後編)。

advertisement

小山薫堂(以下、小山藤本さんは大阪・関西万博の会場デザインプロデューサーを務められ、会場デザインの理念「多様でありながら、ひとつ」を示すシンボルとして、1周およそ2km、高さおよそ20mの世界最大級の木造建築物「大屋根リング」を考案されました。僕は、本万博のテーマ事業プロデューサーのひとりなわけですが、正直いうと、なんでこんなものをつくるんだろう?と思っていたんです(笑)。

藤本壮介(以下、藤本そうですか(笑)。

小山:でも、完成したものをいざ拝見したら、やっぱりすごかった。歴史に残るレガシーというか、建築好きとしては「人間はものすごいものをつくれるんだな」と打ちのめされました。160以上の国・地域、国際機関がそのひとつの円のなかに入るというのは、感慨深いものがありますか?

advertisement

藤本:ええ、やはり万博ならではだなと思いますね。僕自身、会場デザインの依頼があったとき、万博に対しては懐疑的で。「いまの時代にやる意味があるのだろうか?」という問いから、構想を練り始めたんです。そしてコロナが明け、世界が不安定化し始めた時期とも重なり、1970年の大阪万博とは違った意味で大きな価値が出てくるだろうと感じました。だからこそ、どんなメッセージを発信せねばならないかというのは、すごく考えましたね。

小山:木造建築で、建設費は約350億円。勇気が必要な提案だったなと思いますよ。

藤本:大阪・関西万博といえば大屋根リングをまず思い浮かべるだろうし、賛否についてはしかと受け止めています。

小山:70年の万博って、大成功したイメージがあるじゃないですか。でも、実は反体制の芸術家や学生が万博反対を唱えて、略して「反博」と言われていたとか、太陽の塔の目の部分にそんな若者が籠城し、「アイジャック事件」と呼ばれていた。時間の経過とともに記憶は変容し、過去は輝く。いまの万博も逆風が吹いていますが、終わってみれば、魅力的なものに変わるのではないかと、期待をしています。

複雑で多様で豊かな共同体を

小山:近代建築の巨匠ル・コルビュジエは、7カ国17の作品が世界遺産に登録されるような人じゃないですか。でも65歳の円熟期にわずか8畳ほどの、質素で簡易的な「カップ・マルタンの休暇小屋」をつくって、妻と一緒によく泊まっていた。結局、建築も究極的にはそういうものに行き着くのではないかと思うんですよね。

藤本:建築をやっていると、価値観の両極端のせめぎ合いなんです。 資金はないけれど豪勢なプールだけは欲しいとか、開放的な空間にしたいけれどパーソナルさは担保したいとか、相矛盾する状況が折り重なってくる。とはいえ、片方だけに振り切るだけだと、実はつまらない。この相矛盾する状態をそのまま立ち上げたような、立体的な両義性が表れるほうが面白いのではないかなという気がします。

次ページ > 好きなものをつくってよいと言われたら──

写真=金 洋秀

タグ:

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事