「変われないソニーの象徴」といわれたビルを解体し、「余白」を生み出す。そんな型破りな選択によって、東京都心の超一等地に公園が生まれた。採算度外視にも見えるプロジェクトの壮大なストーリーを紹介したい。
とある平日の昼下がりに、銀座・数寄屋橋交差点にできたばかりの「Ginza Sony Park」を訪れた。1階のベンチでは、大きなキャリーケースをもった外国人観光客が休息している。その傍らを、アーティストの展示を目当てにした若いカップルが行き交う。交差点とも銀座駅ともつながる空間、そこを吹き抜ける風。都会の喧騒のなかにある「余白」が、訪れる人それぞれの過ごし方を静かに許容している。
「余白は無ではありません。まわりを生かしながら、自分も生かされているのです」。Ginza Sony Parkプロジェクトを率いるソニー企業代表取締役兼チーフ・ブランディング・オフィサーの永野大輔は言う。穏やかで思索的にも聞こえるこの言葉の奥には、ソニーの反骨精神に満ちたDNAが息づいている。

「公園」を再定義する
その誕生は1966年。営業拠点でも、ものを売る店舗でもない、ショールームとして誕生したソニービルは銀座の象徴だった。706㎡という広くない場所で回遊効果の高い設計にしつつ、交差点に面した33㎡はパブリックスペースとして街に開かれていた。創業者の盛田昭夫は竣工当時、“日本で一番値の高い土地”にできるその空間で四季折々の催しを行い、「日本一の庭にしよう」と綴っていた。
しかし、2000年代に入りソニーの業績が悪化すると、そのビルは「変われないソニーの象徴」といわれるようになった。ソニーの事業が多様化、時代の変化のスピードが加速し、ビルが発信拠点以上の役割を担う必要も出てきた。
2013年に動き出した建て替えプロジェクトでは、創業者の想いを紐解き、「変わるものと変わらないものについてよく議論した」と永野は言う。開かれた庭の延長として「公園」というコンセプトが浮かぶと、「公園とは何か」に向き合い続けた。
「ソニーはいろんなものを再定義してきた企業です。家で楽しむものだった音楽を、外に広げたウォークマン。ゲームをエンタテインメント体験に昇華させたPlayStation。人間の役に立つロボットではなく、人間がかわいがるパートナーであるAIBO。同じように公園も再定義できるのはないかと」
公園は、何をしても、しなくてもいい場所。使い方を使う人に委ねる場所。「それがかなえば都会で小さくても公園になるのでは」。この発想から生まれたのが「余白」という設計思想だった。伊勢神宮の式年遷宮からも着想を得た。「敷地内の建て替え地のように、余白があることで変わり続けることができる」。余白は、未来への可能性ともつながった。
