SMALL GIANTS

2025.05.22 17:15

「お客さまのわがまま」をそのまま商品に 1480通りのカスタマイズ受注

目指したのは「長期的に売れる商品」

会社外観(写真提供/藤田金属株式会社)
会社外観(写真提供/藤田金属株式会社)

──家業に入って最初の仕事は?

advertisement

営業を担当しました。藤田金属ではアルミ製の家庭用品を製造していますが、私が入社した当時は売上が下火でした。

特に、量販店やホームセンターに製品を並べてもらうための営業は厳しく、価格交渉が中心でした。安価な製品が市場を席巻していたため、価格競争に巻き込まれることも多く、売上を維持するのが難しい状況でした。

──営業活動で感じたことと、家業の課題は何だったのでしょうか?

advertisement

価格競争が激しく、商品の価値よりも値段を重視されることが多かったです。さらに、せっかく売れる商品を作っても、すぐに模倣されることがありました。そのため、長期的な視点での商品開発が難しいと感じていました。

また、お客様が本当に求めているものを理解し、提案する力が必要だと感じました。価格以外の付加価値をどう提供するかを考えながら営業を進めました。

──商社への営業もしていたそうですね。

そうですね。ガソリンスタンドでのアルバイト経験が役立ち、商社への営業は比較的スムーズに進みました。ただ、藤田金属の「藤田」が営業に出ることで、「お坊っちゃん営業」というイメージをもたれがちでした。

それを覆すため、徹底的に準備をして信頼を得ることを意識しました。商談前には相手の情報を徹底的に調べ、顧客のニーズを的確に把握した上で提案を行うように努めました。

──お祖父様とのエピソードも教えてください。

祖父はとても厳しい人でした。営業に行く際も「とにかく外に出ろ」と指示されました。また、朝のラジオ体操で少しでも動きが違うと「正しくやれ」と注意されるほど細かい人でした。厳しさの中に、仕事に対する真剣さを感じました。その姿勢は今でも私の中に根付いています。

赤字経営から脱却するため、祖父の決断

──承継の経緯を教えてください。

2008年のリーマンショックの影響で、会社も大きな打撃を受けました。ただ、すぐに影響が出たわけではなく、2009年から2010年にかけて、毎月赤字が続くようになりました。

そのタイミングで、祖父の進言もあり、叔父から父へ経営が引き継がれました。会社の厳しい状況を立て直すための大きな決断だったと思います。

──その変化は、藤田代表にとってどのような影響がありましたか?

父が社長に就任してからは、より仕事がしやすくなりました。父は製造を担当し、私は営業を担当するという役割分担ができたので、両輪で会社を回していく感覚がありました。それぞれが得意分野を活かしながら協力することで、会社全体の効率が向上しました。

──現在の経営において、重視していることは?

社員の意見を積極的に取り入れることです。これまでのようなトップダウン型ではなく、現場の声を大切にしながら、柔軟な経営を目指しています。また、製品の品質向上と新しい市場の開拓にも注力しています。これにより、持続可能な成長を実現したいと考えています。

──今後の展望について教えてください。

祖父や父が築いてきた基盤を守りつつ、新しい価値を創造していきたいです。特に、これからの時代に合った製品開発やデジタル化の推進を進め、藤田金属を次のステージへ引き上げたいと考えています。地域社会への貢献も行い、顧客に信頼される企業であり続けることが目標です。

次ページ > テレビ番組から得たアイデアが、空前の大ヒット商品につながる

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事