遺伝子は環境によって変異する
アルプス電気は、基本的にはコンポーネント・メーカーであった。気まぐれで魑魅魍魎とした市場とすこし距離のある環境でこの企業は成長してきた。それゆえに、マーケティング、販路の開発、イメージ戦略などは不得意だったようだ。
アルプス退職・ベンチャー起業組にもそのような傾向は見られる。例えば、アルプス電気退社後にアイカムス・ラボを立ち上げた片野圭二は、マイクロプリンターの商品化を目指してプロトタイプを完成させたが、結局これを生産して販売しようというパートナー企業を獲得できなかった。
現在、片野が目論んだようなマイクロプリンターは市場に出回っている。結果論から言えば、片野の嗅覚は鋭かったのかもしれない。しかし、アルプス育ちの片野には、それをメーカーにプレゼンし、市場に送り込むのはあまり上手ではなかった。
試作品を完成させた後が手詰まりになり、これを突破していくノウハウや人材が社内にはいない、というのがアルプス電気の弱点であり、これを僕は遺伝子の呪縛と呼ぶ。そして片野もこの時点では、遺伝子の呪縛から解放されてはいなかったのである。
ところが、遺伝子というものは環境によって変異する。アルプス電気の遺伝子は、ベンチャーという形で外に出て、TOLICという場で外の環境に晒されることによって、変異していった。
TOLICは「シオノギ」や「ニプロ」といったさまざまな医療関連企業とネットワークを広げつつあった。つまりアルプス電気にはない経験値を蓄えることによって、この企業の遺伝子を変異させていった、そう僕は見る。
現在「アルプスアルパイン」の代表取締役社長を務める泉英男は、日本電子デバイス産業協会の東北理事を務めていた時期があった(当時の会社での役職は取締役)。2017年、泉に盛岡での公演の主催の役割が回ってきたので、講演者として適当な人がいないかと寺尾博年に相談し、寺尾は片野圭二を推薦した。
やはり技術者で、主に高周波による通信を専門としていた泉は、アルプス退職・ベンチャー起業組では、盛岡工場で通信を専門としていた水野と、水野とともに「ERI」を立ち上げた技術者を介して知り合い、連絡を取り合っていた。
ただ、このとき泉は、退職・ベンチャー起業組がTOLICという形でここまで大きな動きになっているということは知らなかった。「のちに、榎本さんが書かれたものを読んだりして、ああそうなっていたのかと驚いたりもしました」とも言っていた。
2019年に僕は「東北再生」と題して「TOLIC物語」の第1話をForbesCAREERに発表している。この連載はある界隈では熱心に読まれていた。連載終了後も、Forbes JAPAN公式サイトのコラムで僕はTOLICの動きをレポートし続けた。
それが影響してというのは安易に過ぎるだろうが、アルプス内に退職・起業組の動きをある程度知らしめた役割を果たしたことは間違いないと思う。


