その結果見えてきた問題は、AIが作った動画は場面が切り替わった場合に、光の状態や部屋、風景の変化を、自然に表現できないというものだった。トムがパイを食べるシーンでは、そのパイの色や形が、物語の途中で不自然に変化してしまうという現象も確認された。
AIで生成した動画のこのような欠点は、Runwayが公開したビデオでも確認できる。たとえばタイムズスクエアを象が歩くシーンは、その直後に橋の上をチーターが走るシーンに切り替わるが、前者は曇り空の映像で、後者は晴天で撮られたものであり、一貫性を欠いている。現時点の動画生成AIは、5分間の映像ですらまとまりのある内容に仕上げることに苦戦しており、ましてや長編映画の制作には遠く及ばない。
文明を批評するツールとしてのAI
一方、動画生成AIを用いて制作された映画やドラマは、最先端のテクノロジーとそれを生み出した社会の両方を批評するメディアとしての強みを持っている。
中国映画界の「第六世代」のクリエイターとして知られるジャ・ジャンクー(賈樟柯)監督が、YouTubeで公開した短編映画『Wheat Harvest(麦收)』には、高齢者の介護をロボットが担う未来が描かれている。
中国のテクノロジー企業、快手科技(クアイショウ)が開発した動画生成AIの「Kling AI」で制作されたこの作品は、ロボットが高齢者と散歩に出かけたり、農作業を手伝ったりする様子を描いているが、そこに人間の子どもたちの姿はない。この作品のテーマには、人間同士のつながりがテクノロジーや取引的な関係に置き換えられていくことへの批判が含まれている。
ジャ監督がAIを用いて制作した作品は、チャーリー・チャップリンが1936年の映画『モダン・タイムス』で、資本主義社会と機械文明を批判したことを思い起こさせる。現代の映画作家はAIを使って、他にもさまざまな文明批評的な作品を制作できるはずだ。
映画とメディアはこれまでも、サイレントからトーキーへ、白黒からカラーへ、フィルムからデジタルへと、テクノロジーの変化に沿って進化し、そのたびに、新たな創造の可能性を開いてきた。私たちが今問うべきは、AIが映画を変えるか否かではなく、クリエイターが映画制作の現場でどのようにAIを活用して「意味のある物語」を生み出していくのかということなのだ。


