親は完全に子を見捨てたわけではなく
ただし、ここからがむしろ重要な点なのだが、今回、アルプスアルパイン(アルプス)側にインタビューできたことがきっかけで、上のような図での理解は改めたほうがいいと思いはじめた。
つまり、親の側とて完全に子を見捨てたわけではなく、つねに連絡は取り合い、交流は続き、さらに、2024年以降から現在にいたっては、その結びつきはさらに強固になり、アルプス側がTOLICで変異したアルプス電気の遺伝子を自らに取り込もうとしているように見えてきたのである。
こんなふうに、物語の書き換えをしなければと思ったきっかけは、TOLICの事業を後押しすべく組成されたファンドに、アルプスが出資するというニュースを聞いたときである。
2024年にTOLIC企業への投資を前提にしたファンド「Tohoku ライフサイエンス・インパクトファンド」が組成された。当初、出資者は「岩手銀行」「北日本銀行」「東北銀行」「カガヤ建設」「岩手県信用保証協会」という面々だったが、新たにアルプスアルパインが出資を決めたと聞いて、これはどういうことだろうと僕は首を捻った。
というのは、インパクトファンドは、「社会および環境面においてポジティブなインパクトを生み出すことを意図する投資」と説明されるのが一般的である。乱暴なのを承知で言うと、確実なリターンを求めて投資するようなタイプのファンドではないのである。
さらに取材を続けたところ、アルプスとTOLICの接近がさまざまに確認できたので、思い切ってアルプス側にインタビューを申し込んだ。相手は泉英男社長、相原正巳CTO、そして盛岡工場閉鎖以降もアルプスに残った寺尾博年開発部長である。面白いのは3人ともに東北出身、そして技術畑の出であることだ。
まず、寺尾博年開発部長からは、アルプス電気の盛岡工場が閉鎖した後、なぜ自らは社に残ることを選択したのかということ、さらに退職・ベンチャー起業組とどのような関係を維持し、それをどのようにアルプス側につなげ、社内に技術をつなぎ止めたのかを聞いた。
相原正巳CTOからは、アルプスアルパインが基本的に技術の企業であることを踏まえたうえで、その伝統的な強みと今後の課題、そして、TOLICとの再接近によってどのような発展を模索しているのかを聞いた。
泉社長からは、社長自身のTOLICとの接点が生じた経緯、さらにアルプスアルパインが、製造業を生業とする企業という性格上、工場と関連企業、そして地域社会に対してそのように責任を取っていくのか、などを聞いた。
次回から2回に亘って、アルプス側からの声を踏まえて、企業の遺伝子の継承と発展を考察する。(第2回に続く)