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2025.04.18 14:15

工場が閉鎖されて退職した技術者たちがベンチャー集団をつくった:企業の遺伝子 第1回

2002年に「アルプス電気」盛岡工場は閉鎖された

企業判断には感情的面を掬い取る必要も

そして、ここにきて、また新たな動きが顕著になりつつある。親であったアルプスと子としてのTOLICが再び結びつきを強めようとしているのだ。

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親子関係としてアルプスとTOLICを表現したが、このような表現を敢えてしたのは、感情面を考察に加えたいということと、遺伝子という比喩を使いたいがためである。まずは、感情に着目しよう。

ForbesCAREER連載当時、僕の取材対象は、TOLICの面々、アルプス電気退職・ベンチャー起業組の人たちであった。つまり、子の側であった。アルプス電気に育ててもらったという自覚はあるものの、工場閉鎖によって、いわば半強制的に親離れさせられた側だ。

彼らは企業内で技術を研鑽して、満を持して社を飛び出し起業したわけではなかった。自分たちの居場所がなくなることに呆然としつつ、こうなったら起業するしかないな、なんとかなるだろうという気分でいた人たちが圧倒的多数だった。

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僕が取材したのは、工場閉鎖から20年近く経った時点だったので、なまなましい怨み辛みの声は聞かれなかったが、苦笑交じりに「あれにはまいった」と言った者はいたし、自治体関係者からは、「企業側にも事情はあるにせよ、あの閉鎖はかなり乱暴だったという印象を受けた」という声も聞かれた。

ゆえに、僕のなかでは〈冷たい親に、ちょっとテストで悪い点を取ったからといって(確かに閉鎖前の業績は下降気味ではあったらしい)見捨てられた子〉というような図がイメージされていた。

もともと僕は映画業界の出身で、現在の本業は小説家である。なので、こういう捉え方は、経営を学んだノンフィクションの書き手ではないフィクション・ライターの悪い癖だという批判も出るだろう。それは甘んじて受けとめたい。

ただ僕は、企業の判断には感情的な面を掬い取る必要もあると思い、このような表現を敢えて用いたいのである。その理由はこの短期シリーズで徐々に明らかにしようと思う。

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文=榎本憲男

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