一期一会だった「辺境ガチ中華」との出会い
冷麺で知られる鶏西は、もともと炭鉱で発展した町だ。東部区域はロシア国境と接しており、中ロを隔てて南北に流れるウスリー川(烏蘇里江)の支流である棱穆河が町を流れている。
筆者が訪ねたロシア国境にある戦争遺構は、第2次世界大戦最後の激戦地といわれる虎頭要塞だった。満洲国を支配していた関東軍が国境を接するソビエト連邦からの防衛を目的とする主要拠点の1つで、1939年に完成されたものだ。
東西約10キロメートル、南北約8キロメートルに広がる30メートルから50メートルの深さの地下壕を一帯に掘りめぐらせ、兵舎や発電所、病院まで備えた当時はアジア最大規模を誇る軍事要塞だった。
ウスリー川をさはんだその対岸はソ連領イマン(現ダリネレチェンスク)で、1945年8月9日、ここからソ連軍は侵攻を開始した。終戦後も戦闘は続き、8月26日に虎頭要塞はついに陥落。生存者は53名だったとされる。
そこは1969年3月、中ソの軍事衝突が起きたダマンスキー島(珍宝島)からも近い。現在は「侵華日軍虎頭要塞博物館」という歴史展示施設が建てられ、要塞の一部を見学できる。周辺は「虎頭珍宝島旅游風景区」として観光地化されている。
その要塞を訪ねたあと、ウスリー川の国境遊覧船に乗ったことを思い出す。夏は川沿いが鬱蒼とした森林に覆われているので、ロシア側の町は見えないが、森の中にロシア正教会が建っているのだけは目に入った。ラムサール条約登録湿地のハンカ湖(興凱湖)にも近く、野鳥のコロニーもあった。
筆者は西川口の店の人たちに虎頭要塞を訪ねた話は敢えてしなかったが、ハンカ湖で遊んだ話はした。この巨大な湖は、この地方の人たちにとって夏の海水浴場のような行楽地だから、彼らもよく知っていた。
ところが、最近、西川口在住の知人からこの「東北鷄西大冷麵」が閉店したことを知らされた。西川口には東北系住民が多いとはいえ、鶏西冷麺だけでは集客が難しかったのかもしれない。まさにこの店に出会ったのは一期一会だったというよりほかない。いま頃彼らはどうしているだろう。
最初の問いに戻ろう。なぜこのような辺境から来日した人たちが飲食店を開いているのだろうか。
ひとことで言えば、移民が故郷の親族や同郷の仲間を誘って呼び寄せ、連鎖的に人的移動が発生する「チェーンマイグレーション」と呼ばれる現象に関係がある。日本の「ガチ中華」のこれほど多数の出店ぶりにも、もちろん影響はしている。
その話は、今日、東京で起きている状況を理解するうえで基本となる現状認識といっていい。あらためて別の機会にレポートしたい。


