ちりばめられた貴重なアーカイブ資料
ジョン・レノンのアーカイブ資料を制限なく利用できたことが、ドキュメンタリーを制作するうえでこの上なく役立った。そこにはマクドナルド監督が予期していなかった機会と現実をもたらすカギがあったのだ。中でも、ジョンが初めて米国に移り住んだときのことを語るインタビューには心を打たれたという。
「ジョンはテレビを通じて米国を知った。米国に暮らした8年間ほどの多くを、テレビを見て過ごした。テレビ中毒だったんだ。映画の冒頭で彼自身がそう語っている」と英スコットランド出身のマクドナルド監督は熱く語った。
「まるで自分のことじゃないかと思ったよ。私が初めて渡米したのも70年代だった。祖母が米国人で、休暇にはよく遊びに行っていた。英国では当時テレビチャンネルは3つだけで、真夜中に国歌が流れると画面が真っ暗になった。ところが米国へ行くと、150ものチャンネルが選び放題なんだ。米国の熱狂のすべてがそこにあった」
「あのころ渡米した欧州人のひとりとして、その経験を表現したかった。居間にいながらにして世界を目の当たりにする異様な興奮と楽しさをね。だからアパートを再現した。この映画は見方によっては、ジョンとヨーコがベッドに座ってテレビを見ているだけの作品だ。そう言うと、あまり魅力的には聞こえないよね。でも、コンサート以外では、そこがもうひとつの見どころなんだ」
ジョンとヨーコの息子であるショーンは「母が好きそうな内容だから」という理由で当時の資料のすべてを提供し、創作プロセスに欠かせない存在となった。宝物の山を調べ始めた最初の瞬間をマクドナルド監督は忘れられないという。


