AIへの希望と、その影を同時に見つめる
「AIの進化は、私たちの社会に何をもたらすのか。単に技術の発展として受け入れるのではなく、その過程で見落とされる存在はないのか」。こうした問いを抱きながら、窪田氏はアートを通じてAIが持つ本質的な課題を浮き彫りにしている。
もともと窪田氏は、AI技術の可能性を活かしたアート作品制作を進めていた。しかし、ある時ふと「このまま未来に残る作品を作れるのか?」という疑問が芽生えたという。
窪田:「AIの進化を前提に考えたときに、未来のエンジニアは自分よりも優れたものを生み出すと思います。その未来で、いま自分が作っている作品は果たして意味を持ち続けるのか——未来を思うと今自分が取り組むべきは現時点でのAIの目新しさにフォーカスすることではなく、通時代的な問いを残すことではないかと気付いたのです」
転機となったのは、山形県西川町で方言を記録するプロジェクトに取り組んだときだった。窪田氏は自ら「おばあちゃん子」であるというほど祖母の存在が人生の中心にある特別なものだった。しかし、AI技術を推進することによって、祖母が大切にしてきた生活、文化や言葉を消し去る側に自分が立っているのではないか——そう気づいた瞬間、AIと社会の関係を考え直す必要性を痛感した。
窪田:「AIを推進することで、自分が大好きなおばあちゃんのような存在を消してしまうかもしれないという不安がよぎりました。自分が推進しているAIの世界に、自分の祖母を、具体的には窪田節子、若山清子という存在と照らし合わせた時に、これは本当に祖母が望む世界なのか、そして、大好きな祖母が喜ばない未来を生み出して良いのか?と自問しました。」
この気づきは、彼の作品制作の方向性を大きく変えることになった。AIが「効率化」の名のもとに切り捨てるものを拾い上げ、それを可視化することこそが、自身のアートの役割なのではないかと考えるようになったのだ。



