夢のなかでは心そのものが快感を覚える
ここで、性的な夢に話を戻そう。そのような夢を見ているとき、私たちの身体はいたって平静である。それは末梢神経系と自律神経系が脳に信号を送っていないからだ。鮮明な夢を見ているとき、自律神経系は活性化しているが、身体の協調運動[目と手、手と足など、複数の部位を連動させる運動]に関わる筋肉は麻痺した状態にある。このとき、脳は身体からの信号に反応せず、想像力だけをもとに機能している。夢のなかで解釈の対象は存在しない。一般に、身体と脳は互いに延長線上にあると考えられており、それはおおむね正しいのだが、夢を見ているときは脳が自律的に働くケースがほとんどである。
性的な夢からもわかるとおり、脳は夢を見る際には身体のほかの部分を必要としない。身体からの信号がなくても、独自の舞台や登場人物、演出を構築することができる。夢のなかでは心そのものが快感を覚え、脳以外の部位がなくても肉体的な快楽を追求できる。これもまた「外部の刺激に依存しない認知作用」の一例といえるだろう。
もし信じられないというなら、私たちが世界を認識し、反応する方法について別の視点から考えてほしい。たとえば、視覚に関していえば、私たちは起きているあいだ目を開くことで世界を映像としてとらえている。水晶体と角膜が光を収縮させ、それが目の奥の網膜に届くと、物体は上下左右が反転して映し出される。また、片方の目を閉じたあとにもう片方の目を閉じると、左右の見え方にわずかなずれが生じるはずだ。この上下左右が逆さまで微妙にずれた二つの視点は、脳の視覚野で処理され、一つのクリアな映像に統合される。つまり、私たちは脳がなければ、ものを正しく見ることができないのだ。
性的な夢でも同じことがいえる。脳は外部の刺激がなくても、現実感のある快楽を生み出し、それを感じ取ることができる。夢のなかで体験する性行為などの性的な快楽は、現実と何ら変わりなく感じられる。脳が関与している以上、そこに違いはないのである。脳は夢のなかの性的な体験が、本物かどうかを区別しない。脳にとってはどちらも本物なのだ。さらに、夢を見ているときは、感情をつかさどる大脳辺縁系の活性レベルが覚醒時より高まることがある。そのため、夢のなかでのオルガスムは、覚醒時のセックスでは味わえない感情の高揚につながりうる。


