しかし、筆者はTDCに対して謎に近い疑問をもっていた。世界トップレベルの技術をもった素晴らしい会社であることは間違いないが、従業員は地元の普通高校を卒業し、入社動機が「チャリンコで通える距離だから」という程度のもの。決してモチベーションが高いとは言い難い。
それが、およそ半年で世界トップレベルの技術者になる。なぜその組織に入ると、若者たちが成長するのか。
ウリケ教授との講演の後、赤羽社長にじっくり話を聞く機会があった。すると、意外な答えが返ってきた。
「確かに昔は手で触っただけでナノメートルの違いがわかる職人さんたちはいました。『望遠鏡のレンズを磨くときは、こうやって腰を入れるんだ』と指導したりするのですが、そんなことを今は教えられません。できたとしても、何十年もかかります。私が入社した20代の頃は、やはり当社も感覚的なところに頼っていたのですが、センスがない自分には良否がわからないですし、それではお客様に胸を張って出荷できない。それで、社員たちが研磨したものを毎日私が宮城県産業技術総合センター(公設の工業試験場)に持っていき、精密測定器で計測していたんです。毎日、時には日に2回も測定に行くヘビーユーザーで、そんな人、他にいなかったみたいで、ある日、『本当に熱心だね』と声をかけられて、精密測定器の中古機が売りに出ると情報をもらいました。」
若き赤羽社長は、父親であり当時の社長に相談。導入が決まった。
「ナノの凹凸を可視化するその測定器を工場の真ん中において、社内の誰もが使えるようにしました。面白いもので、精密測定器を導入すると、自分の仕事の成果が数値化されるじゃないですか。そうなると、やはり誰しも上手くなりたいと思うので、加工法を変えてみようかとか研磨剤を変えてみようかと工夫をするようになり、みんな本当に一生懸命に取り組むんです」
昨日よりも今日はもっと上手くなりたい、去年よりも今年はもっと上手くなりたい。数値による評価で「今の自分」を知り、もっと上手くなる工夫を繰り返す。世界トップレベルの技術は、実は「昨日の自分との戦い」の結果と言えるのではないだろうか。そしてこれこそ、体が小さな己との戦いを続け、自分に挑み続けた舞の海と同じように思えるのだ。
世界で戦うということは、己との戦いであり、その機会をTDCの若き社員たちは得たのである。
2011年3月11日、東日本大震災により、TDCは建物も装置も全壊した。瓦礫だらけになった会社の跡を社員全員で片付けて、再建した。あれから14年、「はやぶさ2」の無事の帰還に歓喜し、今も世界中の難題に技術で応える。
「日本は技術リーダーとしての地位を確立している」と、ウリケ教授は言う。TDCのような小さくても大きな価値を生む会社を、「スモール・ジャイアンツ」と名づけて、今年も誌面で大特集を組んだ。赤羽社長も審査員として誌面に登場している。ぜひ、日本の希望を見つけてもらえたらと思う。