しかし、廣瀬さんにはレモンを買わないといけないというのがひっかかります。展示の後工程の目途がついたら、今後は前工程が気になるのです。そこで3年前から和歌山でプロジェクトをスタートしました。財団の支援によって、みかんとレモンという柑橘系産物を育てていきます。前々回の記事でとりあげたプロセス可視化のど真ん中をいく農業プロジェクトを立ち上げたのです。

香りの作品の追求が土づくりからはじまり、加工品まで一貫して線がひけたことになります。レモンプロジェクトが循環再生していく。アーティストにとってプロセスが重要であるとぼく如きが書くことではないですが、廣瀬さんの活動を30年以上近くでみてきて実感する点です。
実は、彼とは家族ぐるみのつきあいで、何年間も夏のバカンスを一緒に過ごし、ミラノで定期的に食事もします。ですから、上述は改めて聞かなくても書けることです。しかし、この記事のために会ってあえてインタビューしました。どこか突っ込まないといけない部分があると感じたからです。
ぼくの知りたかったことを廣瀬さんは話してくれました。
「香りをテーマにして作品を何年もやってきて、今、やっと農業にまで踏み込みすべてのポイントに触れる見込みができました。それはすごく満足なのですが、同時に目に見えて手に触れられるような何か具体性の高い作品をしっかりとつくりたいという気になってくるのです」
アリストテレスの中庸を持ち出すまでもなく、バランスや中間というのは数知れずの人が言及してきたことです。二つの対抗するものの間にこそ理想形がある。しかし、そんな理想形は存在するのか? というのが廣瀬さんの本音です。
「もちろん、それを実現できる人も世の中には僅かながらいるかもしれませんが、多くの人は2つの極のどちらか、または間に留まってしまうので、極の間を行き来するしかないと思うのですね。行き来すること自体が大事。つまりは動きが大事と考えています。でも動きすぎてもだめなのです」
前澤さんの好む言葉、オープンエンドのイメージのひとつだなと彼の言葉を聞きながら思いました。遠い地平をどんどんと求めて水平に歩むというよりも、往復運動のなかで次元が上昇していく。このような場合、らせん状という表現がよく聞かれますが、その固定化されたイメージも脱するのが適当かもしれません。
その際、香りはどこまでもついてくる要素なのでしょう。その一方で、可視化されることがらについても愛情をもって接していきたい、ということを安心感もって思えるのがいいなと感じています。
新しいラグジュアリー文脈で結論づけるなら「動き」が鍵でしょう。「静」ではない。「静かな動き」との表現が適当かもしれません。