香りの話となると、ぼくは友人の廣瀬智央さんのストーリーを真っ先に思い浮かべます。コンテンポラリーアーティストである彼はミラノを拠点に活動しています。
30年以上前、廣瀬さんがイタリアに住み始めて間もない頃、彼はアートヒストリーにオリジナルの足跡を残すには何をすれば良いか? を考えていました。南イタリアのソレントを旅した際、その土地がレモンの香りに満ちていることにいやおうなしに気づきます。そこで、ひらめいたのです。
西洋美術史はほぼ視覚の世界で成立してきました。古代ギリシャにおいて音楽や詩が重視されたように聴覚も優等な感覚と見なされてきました。しかし、嗅覚や味覚は劣等なステイタスにありました。香水や食という領域はありますが、アートの次元で考察される対象ではなかったのです。可視化はもとより、数字でも言葉でも説明しづらい。
だからこそ、嗅覚に訴える作品をつくることがアートヒストリーをさらに豊かにするはず、と廣瀬さんは考えたわけです。だからといって、作品が香ればよいというものではありません。香りをある構造のなかで位置付ける提案をしないとアートにはなりません。
1997年、銀座の資生堂アートギャラリーで初めて展示した香りの作品はレモンが主体でした。床一杯におよそ1万個のレモンをならべ、その上を歩けるようなガラスのブリッジをかけます。しかし、それだけではソレントでの経験のようになりません。香りが充満するには別の工夫が必要で、香料会社の提供をうけてレモンのエッセンシャルオイルを壁にふきつけました。

香りはレモン自体からのみと信じる鑑賞者は、それが香料の効果であると知ると、香料は自然なものではないと思いはじめます。しかし、精油は抽出された自然なもの。こうして、何が自然で何が人工物であるか? というボーダーラインがとても曖昧であることに気づきます。銀座の後にシドニーの美術館やトリノのギャラリーでも展示され、ぼくはトリノで作品を体感しました。
廣瀬さんはタイでカレー粉を使った展覧会も開催しましたが、言うまでもなく、香りをテーマとした作品はものすごく売りづらいです。彼はアクリルのボックスの中に豆を入れて宇宙を表現するなどコレクションに入りやすい作品もつくりますが、香りの領域の開拓も続け、2020年、アーツ前橋で20年近くぶりに今度はおよそ3万個のレモンを敷き詰めました。
この20年で何が変わったのでしょうか?
資生堂アートギャラリーでは、展示しているレモンの「寿命」が近くなるとジュースにして鑑賞者に提供しました。アーツ前橋ではその先にいきます。展示していたレモンを石鹸にして販売し、福祉施設とのアートプロジェクトの運営費の補填に回したそうです。サーキュラーエコノミーがさらに延長したと言えるでしょう。
