フォントが生むアイデンティティ
フォントの形が変わるだけで、伝わる印象は大きく変わる。バリアブルフォントの登場は、デザインの自由度を高めるだけでなく、ビジネスにおいて、メッセージを的確に伝えるための新たな手段となる。
「百千鳥」は、昭和の手書き文化の柔軟性をデジタルフォントとして再現し、フォントがもつ可能性を大きく広げた。従来、フォントは用途に応じて複数種を使い分ける必要があったが、バリアブルフォントなら、一つのフォントで多様なスタイルを持たせることができる。たとえば、広告では視認性を重視した太字、パッケージデザインでは上品な細字、Webサイトでは可読性を高めるために横幅を調整するなど、統一感を保ちつつも、柔軟な表現が可能となる。
「フォントはビジネスにおいて、アイデンティティそのものです。企業ロゴや広告だけでなく、プレゼン資料やアプリのUIに至るまで、すべてのコミュニケーションにおいてフォントの選択はブランドの印象を決定づける要素になります。そして、それは単に『企業』の話にとどまらず、個人が情報を発信する際の〈あなた〉の印象にも関わるのです」
実際、アドビ自身も「Adobe Clean」(日本語書体は「Adobe Clean角ゴシック」)というコーポレートフォントを社内外のプレゼン資料に統一して使用している。フォントを統一することで、ブランドの一貫性を確保し、「アドビらしさ」を視覚的に伝える効果がある。
百千鳥のようなバリアブルフォントは、単なるデザインの選択肢ではなく、メッセージをより的確に伝えるツールとなる。フォントの形を少し変えるだけで、親しみやすさや高級感といったニュアンスを微妙に調整することができる。これは、固定フォントにはない、バリアブルフォントならではの強みだ。
ビジネスにおいて、フォントを選ぶことは「ブランドの声」を決めることでもあるだろう。百千鳥の登場は、これまでのフォントの常識を覆し、ブランドや個人の表現をより自由に、より柔軟にする可能性を秘めている。
「フォントはアイデンティティ」—— その言葉の意味を、百千鳥は改めて私たちに問いかけている。
西塚涼子◎アドビの日本語タイポグラフィ プリンシパルデザイナー。1995年に武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業後、1997年にアドビシステムズ株式会社に入社。入社後は、小塚昌彦氏の指導の下、「小塚明朝」や「小塚ゴシック」の開発に携わる。2009年にはフルプロポーショナルかな書体「かづらき」をリリースし。さらに、14年にはGoogleとの共同開発プロジェクトとして、汎用中日韓(Pan-CJK)書体である「源ノ角ゴシック」を、17年には「源ノ明朝(Source Han Serif)」、貂明朝を発表。そして25年、日本語初の、縦横比と太さの2軸で変化するバリアブルフォント「百千鳥」をリリース。


